コミュニケーション方法が違えば、当たり前の違い

ろう者と健聴者は、どのように異なっていうるのでしょうか。

「耳が聞こえる、聞こえないの違いだけだ。
それ以外は同じ人間だ」

と簡単に言う人もいますが、実際にはそこから始まる言語、社会習慣や文化、
心理といった点でも異なっていると思います。

音のある、なしの世界で、こうまで別れてしまうのか、と思うほど、
それぞれに奥が深い世界です。

日本手話で話すろう者同士を見て

「地球人じゃないみたいだ」

と言った健聴者もいたそうです。
手話ができる私から見ても、
ろう者はそんな存在に見えてしまいます。

言葉を喋らないのはわかるとしても、
あの目にも見えないくらいの超高速手話だけで、
あんなに通じるのが不思議に思うことが、
手話を獲得した自分でさえ、今でもよくあります。

健聴者は口で音声言語を喋り、耳で相手の話を
聞きますが、ろう者の場合は手で「喋り」、
目で「聞き」ます。
つまり健聴者の身体機能でいうと手が口の代わりとなり、
目が耳の代わりとなっているようなものです。
これにはやっぱり、驚くとともに

「そんな芸当は、自分にはできないな」

と思ってしまいます。
音声言語の世界にどっぷりと浸かって生きてきた人には、
これはできないと誰でも分かるでしょう。
これが、ろう者では当たり前なのです。

日本の中途失聴者や難聴者も、世界的に珍しく手話を
使いますが、やはりそれはろう者の手話とは全然違います。

ろう者は言語として、ろう文化の歴史を受け継いで手話を
獲得使用していますが、中途失聴者や難聴者の場合は
バリアフリー手段として、聞こえの不自由さを手話で補います。

中途失聴者や難聴者は、ほとんどが日本語を喋りながら
日本語対応手話を表し、コミュニケーションを図りますが、
それは手話が分からない周りの健聴者や難聴者などにも
配慮するため、つまりバリアフリー手段として手話を用いている
からだと思います。

しかし、ろう者コミュニケーションとしての手話だと違います。
ろう者には、ろう者の伝統習慣があるのです。
日本語を話す代わりにではなく、日本手話という、全く異なる言語が
彼らの言葉だからです。
(ただし、手話サークルなどで大勢の健聴者に知らせたい場合は、
出来る限り健聴者に理解しやすい日本語対応手話を使う、
という話も聞いたことがあるでしょう)

これが、健聴者に「地球人じゃないみたいだ」と思わせた原因でしょう。
反対に、ろう者のほうは健聴者をどのように思っているのか、
が書かれている参考文献があります。


「ある日のこと、サム(ろう〔Deaf〕児)には忘れられないことがあった。
ついにこの友達(聴者)はじつに変な子だとわかったのである。
二人で彼女の家で遊んでいたところ、突然、彼女の母親(聴者)
が二人のところへやってきて口をぱくぱく動かしはじめたのである。
魔法にかけられたかのように、その女の子は人形の家を持ち
上げて他の場所へ移した。
サムはきつねにつままれたようになって、母に隣家の女の子の
不可解さは何なのか正確に教えてもらうために家に帰った。
サムの母は、その女の子は聴者で、そのため「手話」を知らないのよ、
でもそのかわり彼女やその母親は「話をするの」、つまり互いに
口を動かして会話をするのよ
、と説明してくれた。
サムはその子や母親だけが「そういう人たち」なのかと訊いた。
彼の母は、違う、実際にはほとんど誰もがその隣家の人と同じなのだ、
普通じゃないのは自分たち、この家の者なのだ、と説明した。
それはサムにとって忘れられない一瞬であった。
隣家の女の子はなんて奇妙なんだろう、彼女が「聴者」なら、
「聴者」ってなんて奇妙なんだろうと思ったことを、彼は忘れない。」

「実際、ろう(Deaf)家族出身のろう(Deaf)の子どもから聞いた
子ども時代の話では、聴者は「奇妙で」「変な」人たちであったが、
背景の一部といってもよいくらいであった。

子どもたちの世界には自分の家族や友達がいて、「聴者」は
子どもたちの世界を邪魔しない程度の者として存在していた。
…外の世界では自分や家族を「苦労している人たち」と見ている
ことを、サムはまだ理解していなかった。
家族と一緒の世界にどっぷりと浸かっている彼からすれば、
コミュニケーション能力が欠けているのは隣人たちのほうなのだった。」

『「ろう文化」案内』(キャロル・パッデン、トム・ハンフリーズ/著)より引用。



コミュニケーション方法の違いによる不思議な理由を知らないと、
お互いにこのように感じるのは当たり前のようです。
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by bunbun6610 | 2012-03-08 18:59 | コミュニケーション能力
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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610
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