障害者には自己決定などできない

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)

 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html


「『差別とは一見わかりにくいが』
これらの例とは違い、一見差別とはわかりにくい例もある。
障害者には自己決定などできない。
自分で選んで人生を楽しむ権利などないという考えを前提にしたパターナリズム的対応だ。

脳性マヒの女性ティファニー・カロの例を紹介しよう。

彼女は1988年、ふたりの息子の親権を求め訴訟を起こしたが失敗に終わった。
カロの障害が重すぎるので子どもの面倒はみられないだろうと、カリフォルニア州の
福祉業務担当者が判断したからだ。
一日に数時間、自宅でカロの親業支援のケアを提供してくれれば、行政の負担は少なく
安上がりだったが、行政の下した結論は違った。
お金はかかっても、施設に子どもを入れたほうがよいという。

カロが健常者であれば親権を否定されるなど問題外だが、彼女には障害があった。
この理由だけで、いとも簡単に親としての権利が否定されてしまったのだ。


親業をうまくできるかどうかの鍵は、親が移動できるかできないかということではなく、
愛情をもって子どもを育て上げる心をもっているかではないだろうか。

カロには、その意味で十分資格がある。
「おしめを替えるのに時間がかかったからってどうだっていうのでしょう」
「障害者の親は、その時間を使って、子どもとのつながりを深めるのです。
生活の中でも非常に大切な時間なのです」」



そう昔でない過去まで、ろう者が子どもを産む権利も奪われていました。
今の70歳以上にあたるろう者の女性が「盲腸の手術をするから」と
騙されて断種手術をさせられていました。

親に「子どもはダメだぞ」という条件で、結婚を認められたろう者もいました。
私も聴覚障害者なので「結婚は、健常な男子がするものです」と言われたこと
がありました。

これらも差別でしょう。
障害者は、そう思っているのです。
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by bunbun6610 | 2012-03-04 18:01 | 哀れみはいらない

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610