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『聴覚障害者』という言葉と、「ろう、難聴、中途失聴」(健聴者の混同・混在視)

耳が聞こえない(聞こえなくなった)ということは、何とつらいことだろう。

なぜなら、それを誰も理解してくれないというのが、辛いからである。

これは、日本語音声言語を話さず、手話を言語とするろう者との、
決定的な違いだと思う。

というのも、ろう者はこうは思わないだろうからである。


それでも、聞こえないことは不便というぐらいにしか、
思わないけれども、
人に理解してくれないということは、
はるかに辛く感じる。

聴覚障害は実に、他人との関係障害なのだと思う。

でも、それは決して解決できない問題ではない。

人が人らしくなるきっかけこそ、
コミュニケーションであるのだから。



ところが、そのコミュニケーションが、
私の場合はしばしば、次のようになってしまう…。

 -『ハローワーク職員との会話から』-

職員;「あなたは全然、聴覚障害者には見えません」

私;(唖然とする。それから)
「健常者、健聴者はやっぱり、
障害者を見た目でしか判断できないのだろうな」

職員;「聞こえる人と同じように喋れるでしょ。
だから、聞こえない人には全然見えませんよ」

私;「喋れるということが、多くの誤解を生み、
自分を合理的配慮から遠ざけてきたのか。
何だか、自分で自分の首を絞め続けてきたみたいだ…」

職員;「あなたは喋れるから、聴覚障害者には見えない。
だから、誤解されやすいのね」

私;「その通りです。
 〔聴覚障害者=ろう者だけ〕 ではありません。

ひとくちに「聴覚障害者」といっても、
いろいろな人がいますよ。

だから健聴者の皆さんも聴覚障害者のことを、
もっと勉強して下さい

by bunbun6610 | 2012-02-16 19:58 | Deafとdeaf(昔の考え方)

ある障害者から見た世界


by bunbun6610