『聴覚障害者』という言葉と、「ろう、難聴、中途失聴」(健聴者の混同・混在視)
2012年 02月 16日
耳が聞こえない(聞こえなくなった)ということは、何とつらいことだろう。
なぜなら、それを誰も理解してくれないというのが、辛いからである。
これは、日本語音声言語を話さず、手話を言語とするろう者との、
決定的な違いだと思う。
というのも、ろう者はこうは思わないだろうからである。
それでも、聞こえないことは不便というぐらいにしか、
思わないけれども、
人に理解してくれないということは、
はるかに辛く感じる。
聴覚障害は実に、他人との関係障害なのだと思う。
でも、それは決して解決できない問題ではない。
人が人らしくなるきっかけこそ、
コミュニケーションであるのだから。
ところが、そのコミュニケーションが、
私の場合はしばしば、次のようになってしまう…。
-『ハローワーク職員との会話から』-
職員;「あなたは全然、聴覚障害者には見えません」
私;(唖然とする。それから)
「健常者、健聴者はやっぱり、
障害者を見た目でしか判断できないのだろうな」
職員;「聞こえる人と同じように喋れるでしょ。
だから、聞こえない人には全然見えませんよ」
私;「喋れるということが、多くの誤解を生み、
自分を合理的配慮から遠ざけてきたのか。
何だか、自分で自分の首を絞め続けてきたみたいだ…」
職員;「あなたは喋れるから、聴覚障害者には見えない。
だから、誤解されやすいのね」
私;「その通りです。
〔聴覚障害者=ろう者だけ〕 ではありません。
ひとくちに「聴覚障害者」といっても、
いろいろな人がいますよ。
だから健聴者の皆さんも聴覚障害者のことを、
もっと勉強して下さい」
なぜなら、それを誰も理解してくれないというのが、辛いからである。
これは、日本語音声言語を話さず、手話を言語とするろう者との、
決定的な違いだと思う。
というのも、ろう者はこうは思わないだろうからである。
それでも、聞こえないことは不便というぐらいにしか、
思わないけれども、
人に理解してくれないということは、
はるかに辛く感じる。
聴覚障害は実に、他人との関係障害なのだと思う。
でも、それは決して解決できない問題ではない。
人が人らしくなるきっかけこそ、
コミュニケーションであるのだから。
ところが、そのコミュニケーションが、
私の場合はしばしば、次のようになってしまう…。
-『ハローワーク職員との会話から』-
職員;「あなたは全然、聴覚障害者には見えません」
私;(唖然とする。それから)
「健常者、健聴者はやっぱり、
障害者を見た目でしか判断できないのだろうな」
職員;「聞こえる人と同じように喋れるでしょ。
だから、聞こえない人には全然見えませんよ」
私;「喋れるということが、多くの誤解を生み、
自分を合理的配慮から遠ざけてきたのか。
何だか、自分で自分の首を絞め続けてきたみたいだ…」
職員;「あなたは喋れるから、聴覚障害者には見えない。
だから、誤解されやすいのね」
私;「その通りです。
〔聴覚障害者=ろう者だけ〕 ではありません。
ひとくちに「聴覚障害者」といっても、
いろいろな人がいますよ。
だから健聴者の皆さんも聴覚障害者のことを、
もっと勉強して下さい」
by bunbun6610
| 2012-02-16 19:58
| Deafとdeaf(昔の考え方)