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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

手話か日本語か? ―言語の違いからくる問題点―

〔参考資料〕
『ろう者を雇用しているのに、手話通訳がつかない』 ~ろう者の証言から~

「私は、ろう者です。
会社では筆談で仕事の説明をしてもらっています。
でも、健聴者の筆談はよくわかりません。
それで『手話通訳を用意してほしい』と頼むのですが、
そう言うと

『キミはもう、あっちへ行っていい。
他の人に頼むから』

と言われ、相手にしてくれなくなります。
こういった問題は、何とかならないものでしょうか」



実は、筆談がわかる私でさえ、時折、
似たような経験をさせられます。

上の例を、私の考えられる限りですが、
なるべく客観的に考察してみましょう。

このろう者は比較的若い人でした。
ただ「ろう者」といってもいろいろな人がいて、
そのろう者がそれまで受けてきた教育的、
家庭的背景により、日本語もOKという人もいれば、
そうではない人もいます。

これは健聴者でも同じことが言えるはずです。
実際、私の両親は健聴者ですが、
文盲に近いくらい、読み書きが苦手です。

このろう者の場合は、日本語文章が
苦手なのかもしれません。

逆に、筆談でも問題なくコミュニケーションが
できるろう者もいます。

例えば、ろう学校に通わず普通学校だけで育ったろう者、
早くからインテグレーション教育を受けてきたろう者、
家庭環境が日本語教育にもあふれ、
豊かな言語環境で育ったろう者は、
筆談も問題ない人もいます。

こう言うと、私は日本手話を母語とするろう者の
敵対者のように思われてしまうかもしれませんが、
正直に、これは客観的事実ではないか、
と思うのです。

だからといって、上の例のろう者は日本語が
通じないから筆談は無理なのだ、
と決めつけるのも早計ではないかと思う。

私のブログをこれまでずっと読まれてきた方には、
筆談の問題点を分かっている人もいるかもしれません。

そのことを繰り返すように話しますが、実際に私も、
会社の人が筆談してもわからなかったとか、
通じていなかった経験が何度もあるのです。

この原因をまず簡単に幾つか列挙しておきましょう。
それから、その幾つかを具体例で説明することにします。

「上の筆談が通じなかったろう者も、
これらのどれかにぶつかったからではないか」
という可能性も否定できない、と思います。

別の視点で考えると、この問題はやはり、
(仮称)情報・コミュニケーション法や
手話言語法への理解も必要だという
根拠にもなると思います。

手話を言語と認めたのに、それを使うことが
“実質的に認められていない状況”
があるというのは、遺憾なことではないでしょうか。


枝野長官会見で「手話を初めて、言語と位置づける」
(2011年4月22日)

枝野幸男官房長官が22日午前9時44分から、
首相官邸で行った記者会見の中での注目発言。

「閣議決定した法律案の中には、障害者基本法の
一部を改正する法律案がある。
障害者施策の推進について、関係者の皆さんから
まだまだという声もあるが、特に今回、わが国の法制上、
初めて、(記者会見中の私の)お隣で手話通訳も
いただいているが、手話を法律上、
言語として位置付けるということに
踏み込むことができた。
大きな前進だというふうに考えている。」


手話言語法の必要性については、
当ブログの下の記事を読まれても、
同じように日本手話での通訳のほうがわかりやすいという、
ろう者の合理的理由となる実例が載っています。

→『健聴者が考えた聴覚障害者情報保障の問題点 (2)』
(2011-11-17 22:17)

「しかし、その手話通訳は私には、
半分くらいしかわからなかったので

「隣のろう者は、この手話通訳で大丈夫なのだろうか?」

と、少し心配しました。

ところが、講演が終わってみると、
そのろう者は手話通訳者に、

「あなたの手話通訳は大変、分かりやすかったです。
ありがとう」

と言っていたので、私は「えっ?!」とビックリしたものです。
そのろう者にとっては間違いなく、
手話通訳は日本語対応手話ではないほうが分かりやすい、
ということです。」


→『職場における、ろう者への手話通訳の問題点』
(2012-02-03 00:12)

健聴者からはよく

「「手話が言語として認められた」
といっても、日本語中心の社会なんだから、
ろう者も日本語の勉強をすべき」

という声もあります。
それはそれで確かに言えるとしても、
手話を実質的排除するようであってはならない、
と思います。

言語差別も人種差別と同じように、
差別であることに変わりはありません。

このことは、いずれ『言語の多様性の尊重』という
テーマで、後にさらに詳しく取り上げてみたいと思います。

ところで、筆談が通じない場合とはどんなケースか、
簡単に述べてみます。
例えば、

(1)字が汚くて読めない。
読み手は、読み間違いをしてしまったり、
「まぁこのぐらい、ガマンしなくちゃ」と考えたりしてしまう。
例えば、私は

「読み進んでいくうちに、内容ぐらいわかってくるだろう」

とか、

「自分で推測してわかればいいじゃないか」と思ったりします。

本当はこれは、読み手にも責任があることなのですが…。


(2)書き手が整理して書かないので、何を言いたいのかわからなくなる。
文章力の問題。まとめ方が下手。


(3)用紙のあっちに書いたりこっちに書いたり、
読んでも分からなくなり、さらに音声も交えての筆談では、
わからなくなるのが当たり前。
こういう健聴者は、筆談によく集中して書いていない。


(4)筆談だと音声での説明に比べ、情報量がグッと減る。
そのため、健聴者は筆談と音声の両方で丁寧に説明している
つもりでも、聴覚障害者側には、書いたことしか伝わっていない。

健聴者は、これに気づいていないのではないだろうか。
つまりこれは、この健聴者の説明(筆談)の仕方に問題がある。

その逆に、筆談だけでも上手く説明できる健聴者もいます。
しかし、誰でもそれができる、というわけでもないようです。
できる人と、できない人とのバラツキがひどい、
という事実は確かにあります。
ですから、私は筆談を完全否定しているつもりはありません。

抜け落ちてしまっている筆談の仕方に問題がある、
と言いたいのです。


長くなりましたので、今回はこのくらいにしておきます。

具体例は、また書くのは大変なので、
当ブログ下記の記事を読まれてみて下さい。
筆談を否定するわけではありませんが、やはり、
筆談では通訳と同質には内容を理解できません。

筆談で聴覚障害者に伝えられるようにするには、
かなりの筆談力が必要であり、
それは誰にでも容易にできるのではない、
ということも知っておきましょう。

 →『通訳と筆談、筆記との違いについて』(2011-10-27 22:07)

 →『飲み会での筆記通訳』(2011-10-31 22:29)

 →『筆記通訳?』(2011-10-29 22:36)

「「筆記通訳」という言葉は、本当は存在しないと思います。
しかし、健聴者は聴覚障害者への合理的配慮として、
筆記をして情報保障(通訳)しているつもりのようです。」

筆記は、それでも情報保障として認められるものなのでしょうか?

法律での聴覚障害者への合理的配慮(情報保障、通訳など)
とは何なのかを、きちんと明記する必要があると思います。
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by bunbun6610 | 2012-02-06 19:50 | 就労後の聴覚障害者問題B