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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

沈黙の難聴者

日本の難聴者人口は600~2000万人もいると
言われています。
この数字がなぜ、こんなに曖昧なのかというと、
難聴者は、非常に幅広い人たちだからです。
そして、国がきちんと調査していないということもあります。

同じ難聴者でありながらも、障害者と、
そうでない人とに分かれているのは、
日本の障害者認定基準が異常に高過ぎるからで、
これは日本社会の難聴者の現状を決定づける、
特徴的な理由だと思います。

600~2000万人という数字は、
補聴器メーカーによる推計です。
つまり日本には、補聴器を必要とするほどの
難聴者がこのぐらいいるのだと。

補聴器がないと聞こえないというのは、
その人たちは間違いなく、
人の話し声がよくきこえないということです。
補聴器なしでガマンしている人もいます。
その人たちも難聴者です。

実を言うと、聴覚障害者の手帳を持っている
人の数は現在、約36万人しかいません。

ということは、
「聴覚に障害を持つ人」
(これを、国の認定する「聴覚障害者」とは区別します)
のほとんどが、国の障害者支援を受けられていない、
ということなのです。
日本は、恐るべき福祉後進国ではありませんか。

この事情に大きく関係のあることが、
日本人という、民族的性格ではないか、と思うのです。

今でもとにかく

「日本人は真面目でおとなしく、
勤勉・勤労、誰にでもやさしく、従順である

という賞賛を、世界中から受けています。
しかし、それが逆に、日本人の欠点にもなるようです。

国(政治家や官僚)の言いなりになりやすい
という国民性は、太平洋戦争の時代から、
あまり変わっていないのではないかとさえ思われます。

30年前に公開された日中合作映画『未完の対局』

 →http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AA%E5%AE%8C%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%B1%80-VHS-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%B4%94%E5%BD%8C/dp/B00005GE83

 →http://japanese.china.org.cn/jp/archive/zryhhj/node_2185478.htm


の、ラストに近づくシーンでは、
日本人の性格が戦争を止められなかったのだ、
とでも受け取れるような松波の孫娘のセリフに、
説得力がありました。

国家を信じることと、盲信・盲目になることとは
紙一重の差です。
その意味で、日本人は明らかに盲信・盲目にも
なりやすいと思ったのですけど、
考え過ぎでしょうか?

自分で国家(というより、隣人のため)に投資し、
意見を言い、その上で信じること、
これが本当の「国家を信じること」であり、
アメリカのケネディ大統領の有名な言葉(※)は、
そういう意味だと思うのです。

これはまさに、民主主義社会そのものの実践方法ではなか。

(※)「国が諸君のために何ができるかを問い給うな。
諸君が国のために何ができるかを問い給え」

→http://www.maedafamily.com/enzetu/j-address01.htm
 
→http://yusan.sakura.ne.jp/library/john_f_kennedy1/

日本とは異なる、キリスト教の影響を受けた「契約思想」が、
欧米では流れています。
日本はそうではありません。

法でも税金の使い方も何でも、
それらは全て自分にはわからないこと、
上(政治家など)がつくるものである、
私たちはそれに従って生きていればいいんだ、
というような考え方です。

国のために爆弾を積んだ戦闘機ごと
玉砕する日本人は、外国人から見れば
「クレイジー」と思うのが当たり前だと
思うのです。

それと同じことを、未だに日本人はし続けている、
ということなのではないでしょうか。

沈黙の難聴者たちも、それと同じなんじゃないか、
と思うことがあります。

この人たちが現実にしていること、つまり沈黙も、
加害者側と同じでしかないのです。

この人たちがもしも健聴者だったら、
聴覚障害者問題など完全に知らん顔をしたでしょう。
それに気づいていないと思います。

ろう者と難聴者が未だに仲良くできないのは
当然の結果だった、と思います。

『未完の対局』という映画は聴覚障害者の私にとって、
そういう意味を知る上でも、
考えさせられました。

それが国家全体に関わることでは、
あの太平洋戦争の罪だったと思うのです。
そこまででなくとも、日常のいたるところに、
日本人の、そんな罪はあると思う。

あなた方の無理解ゆえに、
あなた方よりも重い聴覚障害者は、
もっと苦しんだ。
その罪は、人類の子孫にも続く。

私たち人間はすべて、ろう者と完全に無関係だなんていうことは、
ありえないのです。


ソクラテスの

「無知の知(私は知らないということを知っている)」

を知っただけでは、何もなりません。
今度は知ろうと行動することが大切です。
無関心でいいのではなく、知ろうとすることです。
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by bunbun6610 | 2012-02-04 09:20 | 難聴・中途失聴