就労後の聴覚障害者問題C (4)

『アンネの日記』は、第二次世界大戦後に発見されたのだろうか。
もし、ナチスに見つけられたら、この名作は後世に残ることはなかっただろう。

下は、本からの引用文です。

「アンネ・フランクは、1942年6月12日から1944年8月1日まで、ずっと日記をつけていた。1944年の春、ロンドンからのラジオ・オラーニェの電波を通じて、オランダ亡命政権の文部大臣ボルケステインの放送を聞くまで、彼女は自分自身に宛てた手紙というかたちで日記を書いていた。この放送で大臣が語ったところによると、戦争が終わったら、ドイツ占領下におけるオランダ国民の苦しみを記録した手記、あるいは手紙等を集めて、公開する予定だということだった。この放送を聞いたアンネ・フランクは,自分も戦後に本を出したいと考え、日記をその基礎資料として使うことに決めた。
そのため彼女は、それまでの日記を清書し、内容に手を加え、文章を書きなおし、無駄だと思える部分を削り、また自分の記憶にもとづいて、必要な部分をつけたした。と同時に、最初の日記もそのまま書き続けたが、この日記の原形は、彼女自身が手を加えた二番めの日記、bテキストと区別するため、aテキストと名づけられ、”学術資料版”として、aとb両テキストを対比するかたちで、1986年に初めて公刊された。」


「1942年6月12日
あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。」

(『アンネの日記 完全版』〔アンネ・フランク/著,深町眞理子/訳〕『この本について』より)



ブログに公開した㈱○○○と○○○労働組合の記事は、
組合と会社の圧力にかかって、削除するしかありませんでした。

だが、私のこの日記も『アンネの日記』のようにすれば、
死後も残せるかもしれないと思いつき、
やってみることにしました。

「昔は、こんな聴覚障害者差別があったんだ。
国連・障害者権利条約が批准された頃には、
もう二度とこのようなことが起きないように。
次の世代の聴覚障害者には、
私たちのような差別を受けることなく、
社会進出ができるようになってほしい」

という願いを込めて、公開したい。

今は公開できなくても、十何年後とか、
私が死ぬ前にブログに公開すればいい。

会社や労働組合の権力をもってしても、
誰もそれを止めることはできないだろう。

悪を働いた彼らは既に死んでいるか、
この聴覚障害者差別事件のことなど
憶えていないだろう。

そして、そのときの社会ならば、これが差別だということを
理解できるかもしれない。

密室の中での会話だからといって、
どうせそこに居た聴覚障害者は一人だけで、
会社、組合側の健聴者は数的優位にあるから、
裁判になっても負けるわけがないからといって、
失礼なこと、不合理なこと、不道徳なこと、
そして聴覚障害者差別を容認するような発言を、
企業組織全体で行い、隠ぺい工作をしてきた、
という事実は、私が死んでも許されるべきことではない。

だから私は、日記にこのことを書き記すのです。
これを、後になって、自分のブログ上に公開するために。

これら一連の記事を読まれることによって、
読者の皆さんは、会社の聴覚障害者差別はなぜ被害者が
すぐに暴露できないのか、理由がわかると思います。

私たちはまだ、差別という、闇のなかで生きているのです。

これは、その証です。
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by bunbun6610 | 2012-01-22 19:30 | C.クレジットカード会社
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