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職域差別の法律相談(1)

就労後の聴覚障害者問題(Q社

Oさん; 大橋 康彦(直属上司)

S課長; 柴田 裕司(課長)



『職域差別の法律相談(1)』
〔2011-09-13 21:20〕



2011年9月■日

私の「職域差別ではないのか?」という
疑問に対して、会社のOさんやS課長の対応、
説明が非常に曖昧でした。

そこで、私から差別として訴えられないものか、
弁護士に相談してみたことがあります。

会社の人の誰かに間に入ってもらっても、
所詮会社の立場、健聴者の立場でしか
モノを言わない姿勢に、
もう参ってしまってきたのです。

裁判官ならもう少し、聴覚障害者の立場からの
声を汲んで公正に判断してもらえるのではないか、
と考えてみました。

しかし、道はかなり険しそうです。
弁護士による話のポイントはだいたい、
次のようになりました。

(正確ではありませんが、意味は下のようになる、
ということと、会話調にしたほうが読者にも
分かりやすいと思いますので、
この原稿でアップしてみました。
どうか、ご了承下さい。
なお今後も、このような原稿でアップすることが
あります。)

〔弁護士〕;「あなたが会社を訴えるつもりでは
なくても、会社は使用者責任の追及になることを
心配していると思う。

OさんやS課長個人に問題があったのか、
それとも会社のシステム上問題で起きたこと
なのかが、ハッキリしない。

それでも裁判所は最終的には、
会社に責任があるかどうかを、
問うのではないか。

裁判所への提出する資料(記録)を読んでも、
詳しい事情を理解するのに時間がかかる。
書式はパソコンで作っても、手書きとパソコンで
作ったもの両方を合わせてもOK。
訴えるときは弁護士も必要ない。

相手(OさんやS課長)は必ず反論してくるだろう。

この反論では、あなたにとって辛い内容になる。
聴覚障害を理由に今までの取り扱いをしてきた
わけでなく、能力の問題などと言われる可能性がある。

それだけでなく、何でも、可能な限りのあなたの
問題点を出してくるだろう。

あなたのキャリアでも、能力の不足ではないと
証明することが重要。
両親、兄弟、先生などではなく、利害関係のない
第三者による証言が必要。
前の会社の人とか。

社会的観点からの問題提起としてなら、
やる意味はある。
しかし勝訴するとなると、話は別。

能力が証明でき、障害者に基づく差別的対応を
一つずつ指摘することになる。
そして、職場での障害者雇用として違法である、
という結論に持っていく。

だから違法性を見出すということでは、
やはり会社の責任という判断にならざるをえない。

個人が会社のルールを無視して違法な対応を
あなたに対してしてきた、という事実の証明が
必要になる。

障害者の権利擁護の裁判を私が
扱ったことはないが、団体関係で熱心に扱う
弁護士はいるだろう。
まずは、こうした弁護士を探すのが近道。


「もし負けたり、勝てないとなったら、
原告(自分)はどうなるのか?」
という質問に対しては、手続き上のリスクはない。
自分が負けるだけ。

Oさんは会社(S課長だけかもしれない)に
相談しているので、個人として落ち度や
悪気があるとは到底思えない。

それなのに個人責任にしてしまうのは、
酷だと裁判官も思うのではないか?
だから、Oさん個人を責めるのは難しい。
会社の姿勢を問うこと。

会社は裁判を嫌がる。
それは、お金、時間、労力もかかるから。
裁判をやれば、会社はあなたとの雇用契約の
更新不可もありえる。

裁判を起こすのではなく、会社に対応をよくして
もらうために努力する、という方法もある。
ただ、これも難しいと思う。

結局、有効な方法は見つからないが。

個人的に言うが、あなたの味方を社内に
一人でも多く作るのが良いと思う。
弁護士のアドバイスとしては、弱気になるけど。

政治的意味で、勝訴を目的にしない裁判もある。
それであれば、その志を持つ弁護士を探すのが
近道かと。

ただ、目的がそれであるなら、社内で味方をつくり、
理解者が増えれば、それで政治的勝利とも言える。
長い目ではだが、裁判までしなくても。

けれども、裁判をするとなると、
社内の味方は得られにくくなるだろう。

結局、何を目的にするか、で手段も変わる。
あなたのストレス、疎外感を気づかない人に
気づかせる方法を探るのが第一。
次に理解者を得て、その次に改善の方向に行くと思う。
その第一が今なのだし、裁判により第一が
途絶えてしまうことも。

あなたの理解者をまず一人つくる。
私に話したように話して、気づいてくれる人をつくる。
これはできないか?」
 
〔私〕;「それができるのなら、この問題は先人が
すでに解決している。(※)

できないのは、未だほとんど誰もなし得ない、
永遠に困難な問題だったからです。」

〔弁護士〕;「私は聴覚障害の方との相談は初めてで、
その抱える問題に、今日初めて気づいた。」 

終わり


(※)真の理解を得ることは、大きな成果であり、
前進になります。
しかし、この真の理解を得ることは大切であるけれども、
今はとても不可能だと私は思っています。

健聴者の無意識、無知、無関心の前に、
我々は一体どうしてこんなに、
理解への努力をしなくちゃならないのだろうか!

そのことを理解してもらうために、
私はこのブログを書いていますし、
読まれて気づかれる方が一人でも
増えてくれたら、今度は本当の聴覚障害者への、
真の理解が進むのではないか、
と思っています。

決して希望を捨てたわけではありません。

by bunbun6610 | 2011-09-13 21:20 | C.キュービタス

ある障害者から見た世界


by bunbun6610