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聴覚障害者にできる仕事を探し求めて(2023年6月25日改題)

高校を卒業した後、私はどんな仕事についたらよいか、
ものすごく悩んでいました。

両親は私の聴覚障害について、気づいていなかったのか、
先天性難聴障害に関する知識が全くなかったようです。
なので、両親は全く気にしていませんでした。

ところが、なぜか自分だけ、このことに悩んでいました。
私自身は、全く自覚のない症状ではなかったが、
半無自覚の症状だったと言えるかもしれません。

両親は

「うちの子は、不運にも、できが悪い子なんだ」
(性格や頭が悪い、という意味で、
障害児だとは思っていなかった)

というぐらいにしか、思っていなかったと思います。
両親は気づかず、考えようともせず、
学校の担任教師は「おかしい」と思って、
母にそのことを尋ねていたのを、
私は今でも憶えています。
その時確か、先生が

「お子さんは難聴のようなのですけれど、
耳鼻科には行かれましたか?」

と母に聞いたところ、

「(耳がよく聞こえていないことについて)そんなときもある」

というふうにしか、言いませんでした。
実際には耳鼻科医院に2ヶ所も行ったのですけれども、
医者にもだまされたり、
なぜか曖昧にされたりしました。

母は気づいていなかったからなのか、それとも、
わが子が聴覚障害児だと認めたくなかったからなのか、
私には今でもわかりません。

母にそんな過去のことを今聞いても

「何も憶えていない。おまえは聞こえていた」

と言うだけなのです。
おかしな母です。

聞こえる、(全く)聞こえないのどちらかでしか判断できないのが、
健聴者の聴覚障害に関する、無知たる証明なのです。

これは私にとって、とても悲しいことです。
無理解な両親を愛することなんて、
自分はできません。

私の他にも、同様に両親に感謝できない聴覚障害者は何人もいます。
こういう形の家族崩壊もあるわけです。
だから、聴覚障害は「関係障害」とも言われています。

普通の学校を卒業した後の仕事探しで悩んでいても、
相談相手が誰もいませんでした。

自分以外の聴覚障害者と出会ったこともなく、
手話や聴覚障害者対象の通訳制度があることも、
全く知りませんでした。
役所に障害者福祉課があることすら、
知りませんでした。

だから自分は

「障害者ではない」

と思っていました。
でも、自分は明らかに健聴者とは違うと
自覚してはいました。

高校の担任先生は、大学進学するなら推薦すると言い、
私も本当はそれが希望でした。
しかし、耳のことを考えたら、自分からすぐに諦めました。

大学に入っても、聞こえなくて何もわからず、
すぐ退学したという聴覚障害者の実話を、
だいぶ後になってから聞きましたが、
私はそれを先見していて、すぐに諦めたのです。

そして、自分は何をすればいいのか、
何年も考えた末が「手に職を持つ」ことでした。
他の人と協調しながらやっていくことが難しい
聴覚障害者なら「もうこれしかない」と思いました。

そして、将来独立できる職種がいいと考え、
それまでの修業期間は何とか我慢することにして、
料理人の世界に入りました。

しかし、入ってから、この世界は聴覚障害者が
我慢できるほど甘くはないことを知りました。

コミュニケーション障害による、周囲の人への迷惑は
かなりのもので、私はそれでも我慢して頑張り、
自分の夢へ向かってゆけばいいものなのかどうか、
疑問に思うようになりました。

皆も、私の頑張る姿勢は評価してくれましたが、
それでも私がいるために、
余計に疲れてしまっていることは目に見えていました。

ピーク時にはオーダーがいっぺんに入って、
戦場のようになる厨房では、
コミュニケーション障害は重大でした。

だから結局、自分なりに長い時間をかけて
選んだ料理人の仕事も、続けていくのは
難しいと思うようになりました。

そのとき、先輩がこう言いました。

「ケーキ職人のほうが、いいんじゃないか?
レストランと違って、前もって作っておけばいいんだから。
だから、聴覚障害者でも、あまり周りの迷惑にならないかも」

これは別の意味では、私を辞めさせるアドバイスに思えますが、
私はそうすることに決めました。

私はそれまで、ケーキは好きな食べ物でもなく、
全く興味がなかったのですが、
働くために、それを作る仕事に興味を持つことから始めました。

当時、洋菓子職人の世界は男ばかりで、
その仕事内容は非常に厳しかったです。

「女性は、一人だけなら居てもいい。
その代わり、アシスタント的な仕事内容」

という女性差別が当然でしたので、
女性はなかなか入ることのできない世界でした。

しかし、今では女性がほとんどの職場も珍しくなくなり、
どんな力仕事でもできる男を欲しがっている
お店もあるくらいです。
(最近は、そうでもないかも?)

話がそれてしまいましたが、とにかく、
昔と今とでは、洋菓子職人の世界もだいぶ変わりました。

それで、洋菓子は昔、ほとんどが男性の手でつくられていたのに対し、
今では女性の手も確実に加わっています。
それが影響しているのか、洋菓子の味もずいぶん変わってきたものです。

あっと、また違った。
話を戻さなきゃ。

ケーキにもケーキ職人にも全く興味なかった自分が、
どうやってそれに興味を持つようにしたのかというと、
食べ歩きで、でした。
いろいろな洋菓子店を食べ歩いて、その中で

「自分はこの店の味を覚えたい」

と思ってから、その店の扉を叩いたのです。
求人票だけ見て応募、というのはしませんでした。

もともと大変苦労する世界なので、
本気でその店の製菓技術を盗みたい、
という気持ちがなかったら、
働いても続くわけがないと思います。
この世界では。

これから社会へ出て行く若い聴覚障害者のなかには、
調理師とか製菓の資格が取れる専門学校へ行ってから、
学校の紹介する会社に就職するパターンもありますが、
そんなパターンで立派なホテルに就職できたところで、
障害者雇用促進法に基づく障害者枠採用だったら、
単純労働しかやらせてもらえない、
ということもありえます。

それよりは自分が将来、何をやりたいのかを具体的に持ち、
それにふさわしい仕事場を自分で探し、
働くほうが幸せかもしれません。

そんなことも考えたいと思う若い聴覚障害者には、
次の本も一読されるとよいかもしれません。

http://www.amazon.co.jp/%E6%89%8B%E8%A9%B1%E5%B1%85%E9%85%92%E5%B1%8B%E3%81%B5%E3%81%95%E3%81%8A-%E5%90%89%E5%B2%A1-%E5%AF%8C%E4%BD%90%E7%94%B7/dp/4847080041

是非、参考に。

ちなみに、洋菓子職人の修業をした場合、
その後に何が考えられるのかというと、
例えば、次の幾つかがあると思います。

①自分のお店を持ち、オーナーシェフとしてやっていく。

②自分のお店を持ち、オーナーシェフをこなすだけでなく、
そこで定休日などに「お菓子づくり教室」も開く。

③周囲へ迷惑にならない部屋をどこか借りて、
お菓子づくり教室だけを開く。
(この方法は、マイペースでできるが、なかなか集客が難しい)

④安い小工場を借りて、卸売りをする。
(主に、スーパーや、喫茶店などが顧客)


③と④は費用が少なくて済みますが、
コストを厳しく抑えなければならず、
売り上げもあまり出ません。

④は、自分の作りたいものは
作れないかもしれません。

でも、事業を軌道に乗せやすいので、
はじめはこれでやり、事業力がついてきてから、
自分のやりたいビジネスも兼業でやる、
ということもできるかもしれません。


〔参考〕これも、若い人には読んでみるといいですね。

『私の将来の夢はパティシエになることだ。…』

 →http://www.senmon.co.jp/shigoto/saku11_nyusen4.html

技術面では実力をつければ、誰でも全国コンクールで入賞できます。
味はどんな人にも、正直に評価されます。
でも、飲食店だって、美味いからといってお客様が来るとは限りません。
そこが、商売の難しいところです。

独立するなら、ふさおさんのように、身近に理解してくれている支援者が
必要だと思います。
これだって健聴者も同じく大変ですが、聴覚障害者の場合だと特に難しいし、
大変なので、充分な体制準備が必要です。

私からのアドバイスとしては、コミュニケーション問題は、
高くてもいい補聴器を買ってやり過ごすに限ります。
厨房にジョブコーチ通訳が入ることは無理ですから。

補聴器は絶対に予備も持っていたほうがいい。
壊れたからといって、周囲に迷惑をかけられない仕事だからです。

あと、当ブログ

『難聴者の就職活動』
 〔2011-07-14 22:11〕


には、職人世界の門を叩くための面接対策を述べていますので、参考に。
by bunbun6610 | 2012-01-18 22:25 | 就職差別(職域問題・差別〔聴覚障害〕)

ある障害者から見た世界


by bunbun6610