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蒼穹 -そうきゅう-

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ブログ・タイトルの意味 (2)

ヘルマン・ヘッセ著『デミアン』を読んだ知人は、
次のように感想を話しました。

「人間は、神でも悪魔でもないし、
そのどちらにもなれない。
両方を併せ持つ、矛盾にも満ちた存在なのだ。
だから、人間に必要なのは調和なのだ」

それでは、調和とは一体、何だろうか。
長いこと、その答は全くわかりませんでした。

でも何となく、それは「愛」のことかもしれない、
と思うようになってきました。

マックス・ピカート著『われわれ自身のなかのヒトラー』を
読んだことがあるのですが、個人の感想としては、
誰にでもヒトラーになる可能性は持っている、
人間とはそういう存在だ、というふうに感じました。

そういえば、昨年後半にテレビで観た『悪人』
→http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%B0%AD%BF%CD&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=&tblattr=1

が放送されましたが、あれも、
人間とは誰にでも悪人と呼ばれるようになる
可能性を持つ存在なのだ、というふうに、
私は感じました。

悪いのは決して、彼だけではない。
しかし、何かの原因で、彼だけが悪人とされてしまう。
人間社会にはそういうアリ地獄というか、ブラックホールというか、
ささやかな個人の存在を突然消し去ろうとする何かが、
あるような気がしました。
障害者差別だって、そうだろう。

人間(あるいは人間社会)には、そういう恐ろしい力もあるのだ、
と気づくと同時に、一人ひとりは本当に弱い存在なんだ、
というふうに考えさせられました。

そこで、人間には助け合う(つながり〔絆〕を持つ)ことが
大切だということにも気づきます。

しかし、誰でもそれができるのではないようです。
丁度、磁石にはN極とS極があり、N同士、S同士では引き合わないように、です。

ピア・カウンセリングが、健常者のカウンセリングと違う理由も、
そこにあります。
カウンセリングのルールは同じかもしれませんが、
必ずピア(※)でなければなりません。

(※)→http://www.j-il.jp/about/pc.html

   →http://www.fukuchi-clinic.com/ga/be/2006/be013.htm

「障害者同士であれば、その条件は満たす」
ということになっています。

しかし、私はこれに疑問を持っています。
基本的には確かに、異なる障害を持つ人同士のカウンセリングも、
私も賛成なのですが、体験者として疑問もなかったわけでは
ありませんでした。
理由は、当ブログのカテゴリー『聴覚障害』でも述べてきているように、
聴覚障害は他の障害とはかなり異なり、特有の障害なので、
他の障害者に自分の苦しいことなどを話しても、
すぐに理解できるわけではありません。

聴覚障害者同士でも、難聴者と中途失聴者や、
難聴者とろう者とでは、人生体験、心理、物事の考え方など、
だいぶ違う場合が少なくありません。

それでいきなり、お互いに話し合うことから始めても、
なかなか気持ちが通じていないな、と思うのが正直な感想でした。

カウンセリングにはよく「傾聴」が大切だといわれますが、
それができやすいのはやっぱり、
同じ障害を経験している人同士ではないかな、
と思ったのです。
(決して「できやすい」というだけで決めつけている
わけではありません)

カウンセリングは、それが目的ではないと思うのですけれども、
傾聴してくれると、やっぱり心が落ち着くものです。
逆に
「この人は聴いていないな、わからないようだな」
と思うと、話の途中でも止めたくなるものです。

それでも時間をかけてやれば、
通じるようにはなるかもしれませんが、
カウンセリングの場合は、やはり時間が限られています。

カウンセリングには、まずお互いに普段ガマンして、
心の中に溜め込んでいること、
実は本心から言いたいことを他者に言い、
開放することから始めなくてはなりません。
だから「話しても理解してくれないだろう」と
思わせないことも大切ではないか、と思います。

よく、聴覚障害者は
「健聴者にはわからないから、話してもムダ」
と言いますが、だからこそ、ピアでなければ成功しない、
という理由にもなっています。

それは、難聴者が「ろう者にはわからない」と
言うことでも同じではないか、と思います。
もちろん、その逆の場合も、です。

ろう者と難聴者のカウンセリングがダメとは
言いきれませんが、最初から、あるいは限られた時間では、
うまくいかないのではないだろうか、と思います。

ろう者と難聴者が理解し合うには、
最初は段階設定も必要なのではないか、と思います。

そんなわけで、ピア・カウンセリングにしても、
自分の話すことを理解してもらえる相手を探すことは、
かなり困難だといえると思います。

そこで、私が注目したのがブログでした。
ブログなら、少なくとも
「自分のこんな気持ちを理解できる同障者が、
一人ぐらいは読んでいるかも」
と思い込んで書くことができます。

自分は匿名だし、だから本音で、本当のことを書ける。
つまりこれが、ピア・カウンセリングと同じ、
心の開放までは得られるだろう、と考えたわけです。

これが、単なるストレス発散のためのブログで
終わってしまわないようにするには、
どうすればよいか――それも考えながら
書いているつもりです。

カウンセリングの場合、話すほうは、
自分に与えられた時間を使って相手に言いたいことを
伝えます。
そして、後で何か一言、聞いた人から感想をもらいます。

感想は大体「良かった点を一つだけ言う」というような
進行役のアドバイスに従って発言することが多いようです。
批判、中傷などは禁止です。

これは多分、これを言ってしまったら、
相手は二度と正直に話さなくなる
(=心の開放ができなくなる)からかもしれません。

このブログでコメント欄を開設しない理由も、
論争ではなく、聴覚障害者の声に対する
傾聴を重視してもらいたいから、
なのです。

ここは、そういうブログにしたい、と思いました。

by bunbun6610 | 2012-01-17 19:11 | 雑談
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