ブログトップ

蒼穹 -そうきゅう-

聴覚障害者と話す方法 -難聴者、中途失聴者との場合

聴覚障害者とは、当ブログのカテゴリー『聴覚障害』の、
最初のあたりの記事で述べていますが、

 →『聴覚障害の用語定義について』(2011-03-30 22:03)

 →『「聴覚障害者」の定義に関する共同声明(1989年)』(2011-03-31 23:19)

やはり想像以上にいろいろな人がいるものです。
便宜的に「ろう者」「難聴者」「中途失聴者」という
3つに大別することが多いものの、
実態はこれらのどれにも当てはまらない聴覚障害者もいます。

中途失聴者は難聴者と同じように話せるので、
難聴者と混同されやすいようです。

また、自分のことを中途失聴者ですと言うと、
先天性聴覚障害者ではなく、後天性だと思われます。
失聴前は健聴者だった、と間違えられるわけです。

そのようなわけで、聴覚障害や、その人たちについて語るときにも、
それについて書いたことが、専門家であれ当事者が書いたものであっても、
必ずしも賛同してくれるわけではありません。

完全無欠な説明書を作成することは無理でしょう。
だからむしろ、賛否両論が出てくるのが当たり前なのです。

難し過ぎるゆえに、それを恐れて書かない、
言わないほうがいい、
という人もたくさんいます。

しかし、だからと言って、そのままにしていては、
一般社会への聴覚障害者への理解は一向に進まないし、
関心さえ持たれなくなってしまうのではないでしょうか。

そういう危惧感もあって、なかなか入りづらい聖域を
あえて書いてみることも、決して悪いとは言い切れないのではないか、
と思います。

ただ、批判も覚悟の上で個人のブログ上に書くのはまだいいとしても、
ブログ炎上は避けたいものです。

当ブログが一度もコメント欄を開設していない理由は
いろいろあるのですが、大きな理由の一つが、
このことなのです。

真摯な批判なら、あってもいい。
ケンカから、それまで一度もコミュニケーションしなかった
人たちにコミュニケーションが生まれた場合もあります。
むしろ、そういうやりとりから、やっと問題解決へ事が動いていく、
ということも少なくありません。

立場の違いがあるのだから、初めは誰だって、
うまくいかないのは当然だと思います。

大事なのは、その立場の違いを、
ともに乗り越えていくことだと思います。
国連・障害者権利条約のプロセスがそうだったように。

それには、時間もかかります。
でも、あきらめないで続けたいものです。
お互いに顔をあわせられる場なら、
そうした機会がどんどん増えていってほしいものです。

また前置きが長くなってしましたが、これは大事な話ですから。

これから述べる
『聴覚障害者と話す方法 -難聴者、中途失聴者との場合』
も当然、すべての聴覚障害者と話せる方法を
説明しているわけではありません。

難聴者、中途失聴者であっても、
高齢になってから聴覚障害者になった人には、
むずかしいかもしれません。
また、そうとは限らず、自己訓練の経験や意欲、
訓練環境の質、訓練経験の長さによっても
結果は変わると思います。

ですから、あくまでこのような実例もある、
ということで、紹介しているに過ぎません。
相手に過剰に押しつけたりしないようにお願いします。

Aさんは健聴者です。

私;「(デジタル一眼レフ・カメラの)標準レンズは持っているの?」

Aさん;「持ってる」(表情がYes、うなづいているのでわかる)

私;「何ミリを持っているの?」

Aさん;「○○○○」(何を言っているのかわからない)

私;「?」(「わからない」という表情)

Aさん;「・・・」(右手で3本指を出す)

私;「300ミリ? それって、ズームレンズじゃないの?」

Aさん;「・・・」(右手で「30」を空書する)

私;「あぁ、30ミリか。なら、広角側のレンズだよね」

Aさん;「・・・」(うなづく)

私;「この前見せてくれた月の写真は、何ミリで撮ったの?」

Aさん;「・・・」(右手で3本指を出す)

私;「あれが30ミリで撮れたんだ」

Aさん;「・・・」(うなづく)
     ・
     ・
     ・

この会話はどうして通じていたのか、わかるでしょうか?
「これだけでは『手話』とは呼べない」と言う人もいるので、
ここではその話はしません。

ここで言いたいのは、手話を知らない健聴者でも、
このような方法で聴覚障害者とのコミュニケーションが
可能になる場合がある、ということです。

手話通訳と違っても、コミュニケーション方法に、
相手にも合わせた自分の工夫を何か加えることで、
これだけの会話が可能になるのです。

この場合は、視覚情報を加えたことです。
聴覚障害者にもし、手話が分かるのなら、
手話を使うと、さらに良いのですが、
さすがに手話ができる健聴者は、まだまだ少ないのが実情です。
それに、手話ができる難聴者、中途失聴者も少ないほうです。
逆に、手話を嫌う難聴者、中途失聴者もいます。

ちなみに、Aさんは、普段は私とは別部署の人で、
あまり会うことも話すこともありません。
反対に、私の部署のなかには、
このように話せる人は一人もいません。

おかしなものですが、コミュニケーション障害は聴覚障害者側に
一方的に原因がある問題ではありません。
健聴者の心の問題でもあるのです。

ところで、私は先ほど
「ここではこの会話の場合に手話を使っていると
言えるかどうかの議論はしない」
と言いました。
しかし、もしもAさんが少しでも手話を使っていることになるとしたら、
どうでしょうか?

手話は当然ですが、コミュニケーション言語です。
その大前提は、

「お互いに通じていなければ、
コミュニケーションとして成立したとは言えないもの」

だと思います。
手話が昔から今日まで使われ続けてきた背景にも、
お互いに通じるという条件は、
いつの時代でも不可欠だったはずです。

ろう者の表す手話にも、健聴者が何気なく表す手の型や動き、
ジェスチャー、N.M.S.(非手指動作)も、
その場で使ってみると、お互いに通じるものがたくさんあると思います。

よく
「手話は勉強しないとわからない」
「手話は覚えるのが難しい」

と言われますが、それは手話講習会にこだわり過ぎているからではないでしょうか。
少なくとも、私はそう思っています。

聴覚障害者とのコミュニケーションを成立させる手話、
コミュニケーション方法とは何なのか、
手話講習会の勉強とは一旦離れて、もう一度考え直してみませんか?

そうすれば、きっと面白い発見があるはずです。

a0196876_11262551.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-12-17 11:31 | コミュニケーション能力