筆談してもらう聴覚障害者の心理

筆談してもらうようにお願いすることは、結構大変です。
ですから、それに向けて努力しているときには、いつのまにか、
筆談してもらうことが一つの目標になってしまっていました。
それがゴールだと勘違いしていました。

しかし実際には、筆談してもらっても、
結局、相手の言いたいことがよく分からなかったり、
「意思疎通ができていないな」と感じたり、
一方通行にされることもあります。

一方通行だと、相手の言うことはわかるのですが、
自分は納得できません。
納得できないのなら納得する必要はないのですが、

「何のための筆談だろうか?」

と思ってしまうことだって、あります。

でもとにかく、自分にとっては筆談してもらえて、
やっとコミュニケーションができるようになります。

でも、よく考えて見ると、それで

「コミュニケーションが成立した」

ということとは違うようですね。

やっと筆談してもらえるようになったというのに、
次第にそういうことにも、気がつくようになってきました。

でもとにかく、まずは筆談が始まることが、
自分の人間関係を築くスタートラインになっている
のだと実感します。

よく
「聴覚障害者の人間関係は狭い」と、
健聴者からも聴覚障害者からも言われていますが、
それは多分、こういうことも影響しているからなのでしょうか。

とにかく、せっかく努力して好意的な筆談を得ても、
それを自分で壊してしまっては、
そこまで漕ぎ着けた努力も無駄になってしまうので、
我慢できなくもない限り、ガマンも要るわけです。

筆談してくれる、数少ない健聴者に対しては、
私の心のなかには常に感謝か、
ガマンの気持ちのどちらか、
あるいは両方ともあります。

筆談によるコミュニケーションといえども、
相手や自分のどちらかの一方通行になり、
誤解が解けないままでは、
真のコミュニケーションは成立しないものです。

ちょうど、当ブログ

『難聴者コミュニティ形成の難しさ(4)』
〔2011-08-24 19:40〕


でも、ある難聴者との筆談のズレを述べているように。

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by bunbun6610 | 2011-12-15 23:32 | 聴覚障害者心理
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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610
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