衰えて聴こえなくなることは、聴覚障害ではないのか?

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館) 

 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html

「この時期には、ポリオだけでなくあらゆる障害を持つ人たちが、障害を「乗り越える」ことを期待された。けれども、今にしてみると、特にポリオの人たちにとって非常に皮肉な経験となってしまった。というのも、当時「素晴らしい」と評価されたポリオの障害者は、自分の体の中でまだ動く筋肉を鍛えられるいわば「優等生ポリオ患者」で、非常に重い杖や添え木を使って自分にむち打ってがんばり、へとへとになりながら歩いた。一方、車椅子に乗ったままで足を鍛えなかったポリオの人たちは「怠け者」のレッテルを貼られ、非難された。
ところが、1970年代になって発表されたポリオの後遺症研究では、もともと動いていた筋肉も年をとるにしたがって萎縮することが明らかにされた。こうなると、かつての「素晴らしい」ポリオ障害者は、今や筋肉萎縮に最も悩まされる存在となってしまった。かつて杖でがんばったポリオ障害者は車椅子を利用しなければならなくなり、かつて手動の車椅子を使っていたポリオ障害者は電動に鞍替えした。皮肉にも、かつての「優等生ポリオ患者」の筋肉は最も速い速度で弱まってしまうようになった。
自分で杖を使って歩いていたほうが車椅子よりもよい。かつて医師たちはこう助言していたが、一見専門的な意見が、決して生理学的な根拠にもとづいたものではなかったと後でわかった。医師の助言は、むしろ社会が作り出した通念の反映にすぎなかった。」


「障害」とは何か? もう一度考えてみて下さい。

例えば、難聴も、治らないだけでなく、
歳をとれば老化のため、
さらに進行して重度になってゆく人もいる、
と言われています。

「障害者」と呼ばれる人たちだけが、
障害を持っているのではありません。

「衰えることは『障害』ではない」のでしょうか?
聴覚障害だと先天性障害者と実質的には同じか、
あるいは環境条件によっては、
それより困ってしまっている老人性難聴者がたくさんいるのに、
老人性難聴者は「しょうがない」という扱いが当たり前になっています。

しかしこれは、実は国連・障害者権利条約とは矛盾しているように思います。
そのため、条約を勉強し始めた人たちの間で、
日本政府の「障害の定義」が疑問視されるようになってきています。

先日、長瀬修氏の講演会でも、質問者がこのことを聞いていました。

国連・障害者権利条約では、大きな枠組みでしか定義できないそうです。
つまり、その実質的内容は、今後も各国の取り組み次第になると言えそうです。

日本の場合ですと、次の資料は参考になると思います。

 →http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r083/r083_005.html

「聴覚障害が重度に限定されているため、福祉法による補聴器の交付率(一定人口あたり)がヨーロッパの10分の1以下で、文字放送アダプターの普及台数は「聴覚障害者数」の2~3倍にもなっている。」

日本の身体障害者に関する制度は、こういう矛盾を生み出ししているのです。
こうした障害等級から漏れてしまう難聴者や老人性難聴者の放置は、
分かりやすく言うなら「人災」であり、「間接差別」なのです。
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by bunbun6610 | 2011-12-11 23:45 | 哀れみはいらない

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610