聴覚障害者がAEDで困ったこと
2011年 12月 05日
聴覚障害者にとってユニバーサルデザインでなく、
困った物の典型的な例が、AEDではないでしょうか。
→http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=AED%B9%D6%BD%AC%B2%F1&lang=euc&prop=1&bypass=0&dispconfig=&tblattr=1
防災訓練に手話通訳付きで参加する聴覚障害者も、
AEDの操作説明のときは皆、尻込みしてしまいます。
そんな非常時に使う大事なものだからこそ、
マニュアルも何もなくても、
すぐに誰でも使えるものが絶対に必要なのに…。
「一体何やってんだろうな、これを設計した人は」
と思ったくらいでした。
本当に「誰でも使えるように」という発想が
あったならば、聴覚障害者にも使えるAEDが
つくれたはず、だと思います。
「わざわざ」がつくユニバーサルデザインであろうと
なかろうと、関係なく必要なのが、この発想で
つくられるべきAEDだったのではないでしょうか。
AEDは、音声説明にしたがってやれば、
誰でも使えるようにできているようです。
しかし、聴覚障害者には、何が何だかさっぱり
分からないので、
「自分たちでは使えない」
と思われています。
ある消防士は、こう言いました。
「聴覚障害者の方は、健聴者を呼んできて下さい」
これを聞いた聴覚障害者の心理とはどんなもの
なのか、健聴者にはわかるまい。
疎外感と劣等感の気持ちでいっぱいだろう。
健聴者にはわからないことを証明しています。
夫婦で聴覚障害者である場合も多く、
もし連れにAEDをしなければならなくなっても、
それしかできないというのだろうか。
きっと、連れのそばを離れられないはずである。
連れだからこそ、自分が何とかしたいと思うに
違いない、と思う。
聴覚障害者はそんなことを考えながら、
その防災訓練の場で、疎外感を感じてしまいます。
やりきれない気持ちになるのです。
他には
「聴覚障害者は、やり方を覚えておくしか、
方法はありません」
と言われたこともあります。
しかし…です。
AEDのような、人の命を救う大事な道具なら、
音声ではなく手動式紙芝居
(勿論、防水加工品で、破れたりしないもの)
でも何でもいいから、
そんな誰にでもわかる誘導方法が採用されて
いれば、そんな問題なんて起きなかったと
思うのですが。
だから当ブログ
『六本木ヒルズ回転ドア事故』
でも同様のことを述べているような、
要するに設計者の聴覚障害者のことを考えて
いない想像力の欠如というか、
発想力が問題なのだと思います。
視覚障害者も使えるようにするためだという
のなら、音声も残せば、ユニバーサルデザイン
になると思うのですが。
もしも、聴覚障害者夫婦が、次のようなことに
なったとします。
妻;「あっ!」
夫;「ん! どうした?」
妻;「何か、急に胸が…苦しくなってきて」
(そして倒れこむ)
夫;「おい、どうした? しっかりしろ!」
(妻は倒れたまま、意識があるのかどうかも
わからない。
しかし、呼吸は今止まったばかりだ)
そこで、近くにあったAEDを見て、
これをやってみようとするが、
自分は耳が聞こえないので不安になる。
それでも、その機械を開けて、何度もボタン
を押してみた。
しかし、やり方がどうしてもわからず、
使えなかった。
近くにも人がいなくて、どうしたらよいのか
わからず、仕方なく妻を背負い、
病院まで運んだ。
しかし、間に合わず、妻は死んでしまった。)
病院は
「すぐにAEDで対処していれば、
助かった可能性はあったかも」
と話した。
それを後から知った夫は、ますます自分を
責めたくなった。
「耳が聞こえなくても、もっと早く、
自分がAEDの勉強をしておくべきだったんだ」
この後悔は生涯続くことになり、
耳が聞こえない人間に生まれたという運命も
呪うようになった。
もちろんこれは、私の勝手な創作です。
私もAEDの使い方を知らないまま書いている
ので、これはいい加減なのかもしれませんが。
でもまあ、(財)全日本ろうあ連盟創立60周年
記念映画
『ゆずり葉』
のAEDバージョンのようなストーリーです。
こういうことは実際に、起こる可能性は有り得る、
と思います。
「仕方がない」とは思わないでほしいです。
映画『ゆずり葉』の物語は昔、実際にあったこと
なのですから。
【追記】(2015年9月11日)
『聴覚障害者にも使用可能になったAED』
〔2015-03-30 07:57〕
困った物の典型的な例が、AEDではないでしょうか。
→http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=AED%B9%D6%BD%AC%B2%F1&lang=euc&prop=1&bypass=0&dispconfig=&tblattr=1
防災訓練に手話通訳付きで参加する聴覚障害者も、
AEDの操作説明のときは皆、尻込みしてしまいます。
そんな非常時に使う大事なものだからこそ、
マニュアルも何もなくても、
すぐに誰でも使えるものが絶対に必要なのに…。
「一体何やってんだろうな、これを設計した人は」
と思ったくらいでした。
本当に「誰でも使えるように」という発想が
あったならば、聴覚障害者にも使えるAEDが
つくれたはず、だと思います。
「わざわざ」がつくユニバーサルデザインであろうと
なかろうと、関係なく必要なのが、この発想で
つくられるべきAEDだったのではないでしょうか。
AEDは、音声説明にしたがってやれば、
誰でも使えるようにできているようです。
しかし、聴覚障害者には、何が何だかさっぱり
分からないので、
「自分たちでは使えない」
と思われています。
ある消防士は、こう言いました。
「聴覚障害者の方は、健聴者を呼んできて下さい」
これを聞いた聴覚障害者の心理とはどんなもの
なのか、健聴者にはわかるまい。
疎外感と劣等感の気持ちでいっぱいだろう。
健聴者にはわからないことを証明しています。
夫婦で聴覚障害者である場合も多く、
もし連れにAEDをしなければならなくなっても、
それしかできないというのだろうか。
きっと、連れのそばを離れられないはずである。
連れだからこそ、自分が何とかしたいと思うに
違いない、と思う。
聴覚障害者はそんなことを考えながら、
その防災訓練の場で、疎外感を感じてしまいます。
やりきれない気持ちになるのです。
他には
「聴覚障害者は、やり方を覚えておくしか、
方法はありません」
と言われたこともあります。
しかし…です。
AEDのような、人の命を救う大事な道具なら、
音声ではなく手動式紙芝居
(勿論、防水加工品で、破れたりしないもの)
でも何でもいいから、
そんな誰にでもわかる誘導方法が採用されて
いれば、そんな問題なんて起きなかったと
思うのですが。
だから当ブログ
『六本木ヒルズ回転ドア事故』
でも同様のことを述べているような、
要するに設計者の聴覚障害者のことを考えて
いない想像力の欠如というか、
発想力が問題なのだと思います。
視覚障害者も使えるようにするためだという
のなら、音声も残せば、ユニバーサルデザイン
になると思うのですが。
もしも、聴覚障害者夫婦が、次のようなことに
なったとします。
妻;「あっ!」
夫;「ん! どうした?」
妻;「何か、急に胸が…苦しくなってきて」
(そして倒れこむ)
夫;「おい、どうした? しっかりしろ!」
(妻は倒れたまま、意識があるのかどうかも
わからない。
しかし、呼吸は今止まったばかりだ)
そこで、近くにあったAEDを見て、
これをやってみようとするが、
自分は耳が聞こえないので不安になる。
それでも、その機械を開けて、何度もボタン
を押してみた。
しかし、やり方がどうしてもわからず、
使えなかった。
近くにも人がいなくて、どうしたらよいのか
わからず、仕方なく妻を背負い、
病院まで運んだ。
しかし、間に合わず、妻は死んでしまった。)
病院は
「すぐにAEDで対処していれば、
助かった可能性はあったかも」
と話した。
それを後から知った夫は、ますます自分を
責めたくなった。
「耳が聞こえなくても、もっと早く、
自分がAEDの勉強をしておくべきだったんだ」
この後悔は生涯続くことになり、
耳が聞こえない人間に生まれたという運命も
呪うようになった。
もちろんこれは、私の勝手な創作です。
私もAEDの使い方を知らないまま書いている
ので、これはいい加減なのかもしれませんが。
でもまあ、(財)全日本ろうあ連盟創立60周年
記念映画
『ゆずり葉』
のAEDバージョンのようなストーリーです。
こういうことは実際に、起こる可能性は有り得る、
と思います。
「仕方がない」とは思わないでほしいです。
映画『ゆずり葉』の物語は昔、実際にあったこと
なのですから。
【追記】(2015年9月11日)
『聴覚障害者にも使用可能になったAED』
〔2015-03-30 07:57〕
by bunbun6610
| 2011-12-05 21:03
| 聴覚障害者と『AED』