情報保障は、自分も責任を持つもの

当ブログ

『高齢難聴者の自己喪失プロセス』(2011-12-01 20:40)

の手話・要約筆記通訳の利用データに関して、
考えてみたことがあります。

昨年と一昨年との比較では「ほぼ変わっていない」、
つまり伸びていないということになるのですが、
もっと長期的なデータがなければ、
これは何とも判断できないでしょう。

聴覚障害者協会(ろう協)に在籍している高齢ろう者の場合は、
手話通訳はもちろん必要なので、
自分たちの利用実績は変わっていない、と証言しています。

しかし、中年層のろう者になると、

「昔は筆談もしてくれなかったけど、
最近はどこでも筆談してもらえるようになった。
だから、今は手話通訳を呼んでいない」

という声も聞くようになりました。

若い人になると、この傾向はもっと顕著です。
若い人は「手話通訳は要らない」と言うだけでなく
「聴覚障害者団体にも入っていない」というろう者も結構います。

中年層の方では
「聴覚障害者団体には入っているが、活動していない」
という人も結構いて
「手話通訳は必要だけど、面倒だから依頼していない」
という話も聞きます。
幽霊会員の人に多いようです。
このままいくと、これから手話通訳の利用実績も
落ちてゆくのかもしれません。

私は病院で診察を受けるときは、
要約筆記通訳を利用する場合があります。

実はここでも、当ブログ

『通訳と筆談、筆記との違いについて』(2011-10-27 22:07)

で述べていたようなことが起きるのです。

今の医者は、たいていの人は筆談してくれます(東京での話です)。
ただ問題なのは、筆談の質量についてです。
それはハッキリ言って医者次第なので、個人差が大きいものです。

同じ医者にかかっていれば、
本来は筆談のほうが診察時間もかかってしまうはずなのに、
早く終わらせられてしまう、という経験もありました。

通訳者がいるとベラベラと喋る医者でも、
自分が筆談しなければならないとなると、
面倒なのだろうと思います。
コミュニケーションというのは、そういうものなのだと思います。

あるいは、別の医者によると

「大学病院は30分間に3人の患者を診なければならない、
というノルマがあって、筆談で時間を取られるのは大変厳しい」

と言っていました。
同じ大学病院の医者なのに、この矛盾した話はどういうことでしょうか。
ですから私は「多分、言い訳なのだろう」と疑問に思っています。
が、その医者は続けてこうも言いました。
「だから、通訳者を連れてきてくれたほうが、助かります」

と、こぼしていました。

当然ですが実際、通訳者がいるのといないのとでは、
患者の受ける情報量にも差が出てきます。
医者にも、あまり時間をかけて筆談ができない事情があるようです。

それに、通訳者がいたほうが、医者も患者との、
きめ細かな相談が可能になります。
通訳者を呼ぶのは面倒かもしれませんが、
それは患者のほうにメリットがあることです。

音声だと長い説明になる医者でも、筆談しなければならなくなると、
指示だけサッと書いて終わり、という経験もあります。

聴覚障害者のほうは、筆談のほうが早く済んだから

「やったー! これならもう、通訳なんか不要だ」

と思って喜んでいるかもしれませんが。

通訳をつけたときと、つけなかったときとを比較したことのある、
自分の経験で知ったことです。

情報保障を何でも健聴者任せにしていて、
それをバカみたいにありがたがっていたら、
時には、そんなことも知らずにソンすることだってあると思います。

「頼まないのは、面倒だからではない」のはいいとしても、
健聴者の親切にも限度はあります。
親切に甘えた結果、情報格差を受けることだってある、
ということは、一応肝に銘じておきたいものです。

私はいつも通訳をつけている、というわけではありませんが、
大事なときにはやはり、通訳を依頼しています。

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by bunbun6610 | 2011-12-01 21:12 | 情報保障・通訳
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ある聴覚障害者から見た世界


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