高齢難聴者の自己喪失プロセス

私の住む地域での手話通訳派遣実績は、
数字的には前年とほぼ変わっていません。

一方、要約筆記通訳のほうは、伸びているのですが、
それはもともと、利用者数が少なかったのだから、
認知度が上がるにつれて、依頼者も増えている、
と考えられているようです。

今、成年後見人制度を利用する高齢者が急増していますが、

「後見人が自分の法的な権利を護ってくれると安心」

と思い、利用する人はどんどん増えています。

それでは、難聴者も年齢に比例して増えているのだから、
高齢者の要約筆記通訳利用者は増えているのだろうか?

ある高齢重複・重度身体障害者は、こう話していました。

「私は重度の身体障害者で、
国にいろいろ面倒をみてもらっており、
これ以上の負担はかけたくない。

だから、難聴のことはもう、放っておく。
歳をとれば、老人性難聴は当たり前」

昔ながらの日本人的思考、諦め精神の持ち主のようで
「老人性難聴は障害ではない」とも思っている、この語りからは、
難聴であることの苦しみは感じられませんでした。
それは当然です。

なぜなら、このおじいさんは、昔から自分の経営するアパートで、
一人暮らしだったからです。
これは、病気とか障害者でなくとも、
難聴で引きこもってしまうだけの高齢者だって、
同じ結果になる人がいるようです。

この点は読者も、よく考えてみて下さい。

今までに私は当ブログで、聴覚障害とは情報障害、関係障害である、
というふうに述べてきました。
けれども、独り暮らしのように、情報の起きないところにいれば、
情報障害は起きません。
人と関わらなければ、関係障害も起きません。
独り暮らしのおじいさんには、そういう生活環境なので、
それらの障害が無いに等しいのだと思います。
ゆえに、難聴の苦しみ、恐ろしさも自覚しにくい障害と言えるでしょう。

せいぜい、テレビの音声がよく聞こえなくなった、
家族が来て話すことも少なくなり、
誰も相手にしてくれなくなってきたから難聴のことも、
もう何とも思わないとか、
電話が掛かってきても、訪問者が来ても気がつかないくらいなのだから、
電話にもドアにも出ない。
それで本人も電話からの相手の声が聞き取れなくて困っている、
ということすらなくなるわけです。

さらに、高齢でヘルパーに依存するようになってくると、
ヘルパーさんがみんなやってくれるから、
難聴なんかどうでもよくなってくるのではないでしょうか?

つまり、難聴は他者への依存を強めるのだと思います。
決して、自己を放棄したいわけではないけれども、
自分で自分を放棄してしまう。
それが嫌でも、周りの人からは自己なんて
無いに等しい状態に置かれてしまう。
これは明らかに、本人の人間性の危機だと思います。

これを回避するには、どうすればよいのか?
それは、コミュニケーション障害を自分でなくす
努力をすることです。
もちろんこれは、一朝一夕にはできません。
その方法は、通訳に頼ってもよい。

つまり、要約筆記通訳者とともに、一歩ずつ歩んでいくことから、
始まると思うのです。

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by bunbun6610 | 2011-12-01 20:40 | 聴覚障害

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610