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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

価値のある「かたわ者」になれ?

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)

→http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html

「松葉杖を使わなければならない「かたわ」の障害児が、勇敢にも、それなしで歩けるよう一生懸命努力する。1950年代の中ごろから、このような新しいイメージのポスターチャイルドが使われるようになった。
ここでの障害児はいわば「傷物」だ。社会からの尊敬を集め、慈善によって救われるためには、まず自分たちで「より一生懸命努力」しなければならない。科学の力で障害を治療できなければ、障害者自身がその努力をすべきだ。社会がそんな期待を障害者にぶつけ始めた。努力・やる気・勇気。この三つが障害者側に求められたのだ。
…(中略)…
フィリップスは語る。価値のある「かたわ者」だったら、自分の障害を乗り越えられるという考え方だ。
「車椅子の障害者が階段を飛び上がるのを期待するのと同じです。とにかく何でもやろうとしなければいけなかった。一日の終わりにどんなに疲れてもね、やることが期待されていました」」


今の手話通訳者なら、昔の聾唖学校に存在した、
ろう児への厳しい口話法教育を聞いていると思います。

難聴児は聞こえるから、しゃべれるのは当たり前。
そして、しゃべることが出来るようになった子だけが、
学校側から賞賛されていたそうです。

一方、ろう児は聞こえない言葉をしゃべれるように
努力しなければならない。

今でも

「難聴児ばかりが出来て、ろう児には出来ないから、差別教育だった」

と、大人になったろう者は話しています。
学校を卒業して社会に出ていくと、
ろうと難聴は離れていく人もいるという。

ここにも、難聴者とろう者が不仲になった理由があるのかもしれません。
「逆差別」が存在するのも、これが原因だと思います。
それも、過去の成人健聴者たちがしてきた「差別」の結果なのです。

普通学校に通った私の場合は、

「聞こえるんじゃなくて、『聞こえるふり』をして、
大人を騙すのが上手くなって」

いきました。

しゃべることさえ覚えれば、
聴覚障害を隠せたからです。


今思うと、とんでもない話ですが、
相談相手もいなくて、それ以外に方法がなかったのです。

言葉は、小さい頃は、ステレオのスピーカーに耳を直接あてて、
歌声を聴いたりして覚えていました。
大きくなっても、音楽は常にヘッドフォンで聴いていました。
妹が「うるさい」と言っていたほど大きな音でも、
私はヘッドフォンで平気、何時間も聴いていました。
今考えると、それが原因で、もっと聴力が落ちていったのかもしれません。
それでも、私の難聴を何とも思わない家族のほうが、
今考えると、やっぱりおかしな話だったんだな、
と思います。

「浜崎あゆみ」さんという歌手が片耳難聴だと聞いていますが、
人と話す時には困らないのだろうか?

補聴器ぐらいは持っていてもおかしくないとは思うが、
その片耳が「全く聞こえない」のだとしたら、
その耳に補聴器をつけても意味はないから、
全く使っていないのかもしれない。
そうだとすれば、本人がカミングアウトしなかったら、
やはり気づかれないわけだ。
あるいは浜崎さんも「難聴です」と言ったら、
仕事が減るかもしれないと心配し、
すぐに言えず、悩んだのかもしれません。

でも難聴が自覚できるかどうかは、大人と子どもとでも、違います。
子どもには知識も調べる力もない場合が多いと思います。
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by bunbun6610 | 2011-11-28 00:14 | 哀れみはいらない