障がいは、特別なものではない

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)
 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html



「障害者は私たちに、障害が人間にとっては何ということもない
あたりまえのことであると教えてくれる。
そして今後も、アメリカや世界中の人々に、老いて暮らしやすい
場所をどうつくっていったらいいか教えてくれるのである。」





「社会的弱者」という言葉があります。
 →http://kotobank.jp/word/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E5%BC%B1%E8%80%85

障がいを持つ人のことを語るとき、障がい者を社会の中で、
そうとらえる場合があります。

社会的弱者とは、障がい者だけでなく、
例えば赤ん坊、子ども、女性、老人も含まれます。
さらに、成人男子であっても何らかの病気にかかっていて、
身体機能が一時的に低下している方、怪我人なども含まれます。

どんな人でも、障がいや病気を持つようになる可能性はあります。
それが将来は治るものであっても、治療やリハビリ期間中は、
一時的に社会的弱者になるものです。

運悪く利き腕を骨折し、不慣れなもう片方の手だけで
日常生活をしなくてはならなくなる人も、
片腕の使えない障がい者と同じ状況になります。

逆に言うならば、障がい者も、それと変わりはないのです。

ハリウッド映画『スーパーマン』を演じた
クリストファー・リーヴも、落馬事故で障がい者となっています。
 →http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=40693

障がいは人間にとって、何も特別なものではないのです。
そして、障がい者だけでなく、社会的弱者と呼ばれる人々も含めた、
全ての人々が、安全で暮らしやすい、誰もが幸福に暮らせる社会にすることが、
人類のひとつの到達目標ではないかと思います。

ユニバーサルデザインとか、国連・障害者権利条約だって、
それを実現していくための手段にすぎないのです。

当ブログには、カテゴリー『六本木ヒルズ回転ドア事故』をもうけています。
その中の記事

『六本木ヒルズ回転ドア事故<4>』
〔2011-04-19 20:07〕


では、私は事故機を使い続けた森ビルを非難し、
社会的弱者にもやさしいドアへ変更するよう要望しています。
そのドアの犠牲となった人は、社会的弱者だったからです。
同じ立場であると言える自分だって、
この事件を見過ごせるわけがありません。

もしも森ビルに最初から、社会的弱者にもやさしい街をつくろう、
という視点があったなら、あの事故は起きなかったのです。

同じように、障がい者のことを考えるのも、
決して他人事ではないはずです。

障がい者にやさしい社会をつくることは、
その他のより多くの社会的弱者にとっても、やさしいはずです。

あなたは、もしも障がい者になったら、また年老いたりしたら、
今と同じ社会でガマンして生きてゆけますか?
たとえ老人性難聴になっても、大勢の人が集まる場で聞こえなくても、
ガマンできますか?
想像してみて下さい。

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by bunbun6610 | 2011-10-13 21:22 | 哀れみはいらない
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