緊急時の聴覚障害者への、情報提供のあり方について
2011年 09月 13日
『難聴者の生活』というブログがあり、そこに次の記事が載っていました。
特に、緊急災害時の放送事業者からの情報提供のあり方というのは、
非常に関心が高いものと思います。
『民放連も緊急時の字幕放送などに付いて回答!』
→http://blog.goo.ne.jp/hearingrabbit
他のブログにも、関連記事が出ています。
→http://wp1.blog21.fc2.com/blog-entry-1512.html
→http://wp1.blog21.fc2.com/
以下は、ラビットさんの記事を読んで、私が感じたことです。
【A、緊急時の対応について。】
>「字幕制作の間違いは「新たな人災」を招く。」
字幕のミスでも、まず健聴者側への混乱を防ぐという理由のほうが、
優先されている事実がありますよね。
ほとんどの健聴者は普段、耳から入る音声情報を
中心に情報収集していると思いますが、
災害時には字幕情報も見ます。
音も聴こえないほどの広い場所、騒音のある場所では、
字幕も健聴者にとっても有効な方法となりえます。
そうすると、初めは特に聴覚障害者のために作られたものであっても、
こういうときは健聴者にとっても正確な情報でなくてはならないことが
求められてしまう。
この理由で拒否されてしまったら、聴覚障害者の側から見ると、
大切な情報源を「奪われてしまう」「健聴者に独占されたままになってしまう」
という印象になってしまいます。
悪いことなのですよ、この一面だけで言ったならば。
聴覚障害者への情報伝達よりも、
マジョリティーである健聴者が受けるリスク回避のほうが、
優先されてしまっている事実があるのではないでしょうか?
今のところ、混乱を避ける方法はないものだろうか?
聴覚障害者への生命に関わる迅速な情報伝達の重要性と、
健聴者への混乱を防ぐための字幕情報の正確性を両立させる、
ということの矛盾というか、難しい問題点への議論が、
まだまとまっていないと思われます。
【B、ニュースに字幕をつけることについて。】
>「ニュースなどの報道番組は内容や表示に
間違いがあってはなりませんので、
データ入力を行うオペレーターには内容に関する
多岐にわたる知識と正確な作業能力が必要です。」
要約筆記奉仕員のなかにも、
健聴者から通訳文に後から文句をつけられている
場合がありますね。
それと同じでしょうか。
通訳は誰にとって必要なのか、重要なのかというと、
決して聴覚障害者の側だけではなく、
健聴者にとっても大事なことなのだということが、
この事実からも読み取れます。
健聴者は、自分の言っていることを正確に書いてくれないと困るし、
そうでなかったら、要約筆記通訳なんかつけるな、と言い出すでしょう。
自分で筆談するのも面倒くさがるのに、です。
聴覚障害者は、健聴者が要約筆記通訳を拒否される場合が
非常に多いですが、それは「費用がかかるから」という問題だけでなく、
通訳の正確性に疑問を持たれた場合にも、起こりえることだと思います。
【C、CMに字幕をつけることについて。】
>「CMに字幕をつけるためには、テレビCMを制作し
テレビ局に搬入する広告会社や制作会社においても
十分な制作体制が必要です。」
しかし、字幕付きCMが製作、放送されたことも、今まで確かにありましたよね。
それができたのに、これは一体、どういうことなのだろうか?
と疑問に思います。
あれは特別なのであって、本当は字幕付きCMの普及のためには、
まだまだ製作体制が整っていない、ということなのでしょうか?
特に、緊急災害時の放送事業者からの情報提供のあり方というのは、
非常に関心が高いものと思います。
『民放連も緊急時の字幕放送などに付いて回答!』
→http://blog.goo.ne.jp/hearingrabbit
他のブログにも、関連記事が出ています。
→http://wp1.blog21.fc2.com/blog-entry-1512.html
→http://wp1.blog21.fc2.com/
以下は、ラビットさんの記事を読んで、私が感じたことです。
【A、緊急時の対応について。】
>「字幕制作の間違いは「新たな人災」を招く。」
字幕のミスでも、まず健聴者側への混乱を防ぐという理由のほうが、
優先されている事実がありますよね。
ほとんどの健聴者は普段、耳から入る音声情報を
中心に情報収集していると思いますが、
災害時には字幕情報も見ます。
音も聴こえないほどの広い場所、騒音のある場所では、
字幕も健聴者にとっても有効な方法となりえます。
そうすると、初めは特に聴覚障害者のために作られたものであっても、
こういうときは健聴者にとっても正確な情報でなくてはならないことが
求められてしまう。
この理由で拒否されてしまったら、聴覚障害者の側から見ると、
大切な情報源を「奪われてしまう」「健聴者に独占されたままになってしまう」
という印象になってしまいます。
悪いことなのですよ、この一面だけで言ったならば。
聴覚障害者への情報伝達よりも、
マジョリティーである健聴者が受けるリスク回避のほうが、
優先されてしまっている事実があるのではないでしょうか?
今のところ、混乱を避ける方法はないものだろうか?
聴覚障害者への生命に関わる迅速な情報伝達の重要性と、
健聴者への混乱を防ぐための字幕情報の正確性を両立させる、
ということの矛盾というか、難しい問題点への議論が、
まだまとまっていないと思われます。
【B、ニュースに字幕をつけることについて。】
>「ニュースなどの報道番組は内容や表示に
間違いがあってはなりませんので、
データ入力を行うオペレーターには内容に関する
多岐にわたる知識と正確な作業能力が必要です。」
要約筆記奉仕員のなかにも、
健聴者から通訳文に後から文句をつけられている
場合がありますね。
それと同じでしょうか。
通訳は誰にとって必要なのか、重要なのかというと、
決して聴覚障害者の側だけではなく、
健聴者にとっても大事なことなのだということが、
この事実からも読み取れます。
健聴者は、自分の言っていることを正確に書いてくれないと困るし、
そうでなかったら、要約筆記通訳なんかつけるな、と言い出すでしょう。
自分で筆談するのも面倒くさがるのに、です。
聴覚障害者は、健聴者が要約筆記通訳を拒否される場合が
非常に多いですが、それは「費用がかかるから」という問題だけでなく、
通訳の正確性に疑問を持たれた場合にも、起こりえることだと思います。
【C、CMに字幕をつけることについて。】
>「CMに字幕をつけるためには、テレビCMを制作し
テレビ局に搬入する広告会社や制作会社においても
十分な制作体制が必要です。」
しかし、字幕付きCMが製作、放送されたことも、今まで確かにありましたよね。
それができたのに、これは一体、どういうことなのだろうか?
と疑問に思います。
あれは特別なのであって、本当は字幕付きCMの普及のためには、
まだまだ製作体制が整っていない、ということなのでしょうか?
by bunbun6610
| 2011-09-13 20:56
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