人間の弱さと強さ

健聴者はおそらく、難聴者を見て

「この人はしゃべれるんだから、人と会話することはできる」

と思うでしょう。
それが中途失聴者であった場合でも、やはりそう思う人は
多いのではないでしょうか。

ところが、そうした聴覚障害者の側からすると、
不自由を感じている場合が少なくありません。

ろう者は話すことができないと言われていますが、
それは日本語音声会話の場合です。

そのかわりにというよりは、彼らにはもともと手話という母語を
持っているのがほとんどです。
健聴者が日本語で自由に会話しているのと同様に、
ろう者は手話を使って、自由にしゃべれるのです。

彼らが
「自分たちは(聴覚)障害者ではない」
「自分たちは聾(ろう)者だが、唖(あ)者ではない」
と言うのも、少なくとも仲間同士でのコミュニケーションには、
不自由だと感じていないからです。

ところが、不自由を感じている聴覚障害者が、
実は社会の中にひっそりといます。
中途失聴者や難聴者と呼ばれる聴覚障害者です。

コミュニケーション対策の差が、ろう社会は成熟し、
中途失聴・難聴者社会では未成熟という、
対照的な結果を生んだと言えそうです。

人間社会では、
「聴こえるか、聴こえないか」ということよりも、
実は自由にコミュニケーションができないことのほうが、
ずっと不自由であり、深刻な問題なのです。

そして、聴覚障害によるコミュニケーション問題を、
仲間で克服しようとしない中途失聴・難聴者の心のあり方こそが、
実は自らの障害を、さらに深刻なものにしてしまっているとも
言えるのだと思います。

旧約聖書には「バベルの塔」の話がでてきます。
人々は天にも昇れる塔を建てようとしましたが、
神がそれを見て怒り、人々の言葉を混乱させ、
建設は中断されたという話です。

人間は孤立には弱い生き物です。
本当に孤立に追いやってしまうのは、
コミュニケーション方法を絶たれることです。
聴覚障害とか、自然災害でもありません。

大昔、地球最強の恐竜チィラノザウルスが絶滅しても
生き延び、
東北地方太平洋沖地震で被害にあっても
生き延びてゆくのも、
人はその卓越したコミュニケーション能力を
使うから、さまざまな対策を生み出し、
協調できるから、どんな難問も克服していくのです。

力を合わせればできるが、
合わせなければどんなに数が多くても無力に等しい。
その鍵が、やはりコミュニケーションなのです。

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by bunbun6610 | 2011-08-20 02:45 | 聴覚障害
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ある聴覚障害者から見た世界


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