逆差別

「逆恨み」という言葉なら、健聴者もたまに聞くのではないか、
と思いますが、「逆差別」という言葉は、
健聴者の皆さんはあまり聞いたこともなく、
「自分には関わりがない」と思われているかもしれません。


「逆差別」は、思いではなく行為となってしまっている以上、
それがあるだけで、無関係ではなくなります。

しかし、健聴者が聴覚障害者から逆差別を受けていることに
なっていても、それがどうしても許せないというほどに、
ハッキリと気づきにくいものです。
それは、 間接的差別だからです。

それは、健聴者が何気なくしていることを聴覚障害者のほうが
差別と思っていても、どうしても許せないというほどには、
なかなか思えてこないのと同じなのかもしれません。


「あれはちょっと、、良くないんじゃないかな?」

そう思えても、案外、なかなか言いだせなくて、結局

「まぁ、しょうがないか」

で済ませてしまう。

日本人的寛容精神がすぐに働いて、
問題の見方を曖昧模糊にしてしまうことは、
日常茶飯事ではないかと思います。

そうして、それがいつのまにか、日本社会の常識となって
しまったのでしょう。

常識になってしまったら、もう差別とは決して思わなくなるのです。
これは案外、自然的ですが、当事者(聴覚障害者)にとっては
恐ろしいことだと思います。


逆差別は、存在します。

健聴者が聴覚障害者に対して、無意識にしている多くの
差別行為に対して、逆に聴覚障害者もそれをしていることは
「逆差別」です。

あえて名前をあげませんが、聴覚障害者対象の講演会で
講演をされた、筑波大学の心理学博士から聞いた話です。

具体的な例で言うと、一部のろう者が、
手話講習会やサークルの場で、
手話通訳者の健聴者や難聴者、中途失聴者などが
一般的に用いている手話を「手話ではない」と批判し、
自分たちの使う手話だけが「手話」だと、主張しています。

そこまでなら言論思想の自由の範囲でしょう。

しかしそれだけではなく、

「健聴者に日本語で手話を教えても、手話を覚えない。
だから、音声なしで教えたほうが、健聴者は覚えられる」

と言い、日本語による説明はなし、手話だけで話し、
手話を勉強させる、という、ろう者独自の指導法に
こだわっています。

これが博士は『逆差別』だと言っていました。
(私としては今、博士のこの主張の是非は置いておくとします)

博士は、その場で、モニタリング調査をしたデータを出しました。
そのデータによると、実際は日本語音声を用いて手話を教えた
人のほうが、手話を早く覚えた人の割合は高かった、というのです。
(きわめて当たり前のことかもしれませんが、
博士はこれを証明するために、わざわざデータを出しました)

それだけではなく、逆差別をするろう者のほうが、言語を広く
バランスよく獲得できていないことを示すパネルも、
いくつか紹介していました。

そうであるならば、そうしたろう者が手話を教えたりするほうが、
ある意味では疑問かもしれません。

そして博士は、ろう者のこのような現状を、

「昔の差別が生んだ『逆差別』」

と結んだのです。

昔の手話禁止、音声日本語のみでの学校教育が徹底された差別が原因だ、
ということです。
そして、そうした教育を受けて育った人たちが、今度は逆にやっている
のだというのです。

差別はこのように、結局は差別しか生みませんでした。
その力は、社会を内部から分裂させてしまう破壊力を持っています。

障害者雇用における差別も、同じことになる可能性はあります。
しかし、みんなで差別のない社会にすれば、こうした逆差別だって、
きっとなくなるのです。


こうした逆差別について思うことには、言語的差別があると思います。

逆差別といっても、ピンとこないので、言語的差別と言いかえたほうが、
わかりやすくなるのかもしれません。

健聴者が音声言語一辺倒であったように、それに合わせることが
できないろう者は、手話一辺倒になっていったのは当然、と思います。

健聴者のそれも、ろう者のそれも、単に言語が違うから、
という問題なのでしょうか?

もしもそれだけのことであるのなら、ろう者は「差別だ」と言わなかったはずです。

ただ言葉の世界が違うから、だけではなく、
そこに何の配慮もなされてこなかったから、
差別とみなされるのだと思います。

手話は言語ではないからといって、無視されてきました。

しかし、手話が言語でないというのなら、彼らの文化は
どうやってできたと説明するのでしょうか?
手話は、少数派言語と考えればよかったのではないか、
と思います。

そのようなことは、文字表記による情報保障・通訳を必要とする
中途失聴者・難聴者に対しても、同じことではないでしょうか。

中途失聴者や難聴者が使う日本語対応手話をよく

「手話ではない」

と攻撃する人もいますが、盲ろう者の触手話にも
「手話」という名がつけられています。

それは厳密にはろう者の「日本手話」とは異なっていますが、
それは障害の違いゆえに、全く同じにはできないからです。

それでも、これも違うからといって「手話ではない」と攻撃する
のでしょうか?

こういうことも、厳密に考えると逆差別になるのではないか、
と思います。

「言語の違い」と、「言語の違いを利用した差別」との
見分け方は非常に難しいと思いますが、こうしたことにも注意
しなくてはならないのではないか、と思います。

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by bunbun6610 | 2011-08-06 23:49 | 聴覚障害

ある聴覚障害者から見た世界


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