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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

難聴者に対する社会的支援が乏しい問題

難聴者に社会的支援がほとんどないのは、どうしてでしょうか?

障害のグレー・ゾーンがあるという問題で、最も重大な責任があるのは国家です。

私は当事者として、その体験から気づいた幾つかの点を、原因に挙げたいと思います。


【1.障害者制度に、障害のグレー・ゾーンが存在すること】
国の障害者認定基準のミスが、様々な障害種別でグレー・ゾーンを生み出している。
このグレー・ゾーンに入ってしまう人々は、実は障害があっても、健常者とほとんど同じ扱い
しかなされていません。
これは一見、差別ではないように見えて、実は差別です。

障害があるのにこのようにするならば、国連・障害者権利条約では差別に当たるはずですが、
障害者に認定されていないから、という理由でそれには当たらないというのでは、たまったもの
ではないでしょう。

条約が批准されたとしても、また国内法の障害者に関するあらゆる法律が、国際条約に合わせて
整備されたとしても、これではグレー・ゾーンの障害者は救済されないことになります。

条約はみんなが平等に暮らしてゆけるようにするための手段であり、重い障害者だけのためとか、
その人から優先されるべきもの、という考え方からつくられたのではありません。

グレー・ゾーンの人たちが社会から、合理的配慮の必要性を全く認知してもらえない、ということは
「グレー・ゾーンは存在しない」
ということに等しい。
これは、障害を認定されない彼ら(難聴者も)の孤立が、いっそう強まる恐れがあります。
もし、こんな馬鹿げた国際条約批准をしたら、日本はおかしいのではないでしょうか。


【2.医療機関の障害認定の問題】
これは、難聴者が耳鼻科医院に行き、聴覚障害があると認めうるかどうかを診察してもらっても、
なかなか障害認定とまではいかないという現実があると思います。

障害者認定は、認定医に判定してもらわなければなりません。
しかし難聴者はそれすらも知らずに、認定医でもない医師に診てもらって
「そのくらいならまだ大丈夫だ」
などと言われ、引き下がって一人悩みながら生きている人も多いと思われます。

本当はまず、役所の障害者福祉課などへ行き、社会福祉士にきちんと相談するほうがいいと、
私の体験では思っています。
以下は、民間病院の医者に診てもらったときの、私の体験です。


〔①S耳鼻咽喉科医院〕
私が小学校低学年のとき、母がS耳鼻科医院で耳の具合を診察させました。
母がどうしてそうしたのかは、私は知りません。
考えられるのは、母自身が私の聴覚障害を可能性を疑ったのか、
それとも他の人に指摘され(学校の担任教師とか)、
連れて行くことにしたか、のどちらかだろう。
母は今でも聴覚障害の知識については無知なので、後者の可能性が濃厚です。

S医師に診てもらいましたが、聴力検査もやらず「耳孔にアカがたまっているから、掃除すればいい」
と言われたらしく、耳掃除専用の機械で掃除をするために何週間か通ったことを覚えています。

ある時、母はお金がかかることに腹を立てたようで「もう、あの耳鼻科に行くのは、やめな!」と、
私に吐き捨てるように言いました。

S医師は認定医ではなかった、と見てよいと思われます。
ちゃんとした認定医を探してから、そこへ行かせるべきでした。

ですから、こうした状況から見ても、母は聴覚障害について無知だとわかり、自分の子が
難聴だと自覚していたとは考えにくい、と思いました。


〔②O耳鼻咽喉科医院〕
O耳鼻科は院長が認定医です。
しかし、今になって思うと、院長はどうも様子が変でした。
ひとことで言うと、やる気のなさそうな医師でした。
「役所の障害者福祉課に診断書を出したいから」と頼んでも、「私はそれをやりたくない。
補聴器ならリオンの販売店を紹介するから、そこへ行って」と言われました。

こうして、しばらくは補聴器を試すだけで、数年が過ぎてしまいました。
勿論、私の聴覚障害の認定も、福祉的支援も、さらに数年、遅れることになりました。


〔③B医大病院〕
私が自分でアルバイトをし、その給料で買った補聴器を両親に証拠として見せたところ、
両親も「もう一度、今度は大学病院に」
と言い、行って検査しました。

医師に言われたことは、次のことだけでした。

「難聴です。
原因はわかりませんが、突発性かも?
治せませんので、これ以上、耳を悪くしないようにして下さい」

最期の言葉が、進行性難聴障害の意味ではなかったか、と悟ったのは、それからずっと
後になってからです。
誰にも気づかれずに難聴になったか、それとも生まれつきなのかも、わかりません。
交通事故は幼稚園児のとき、頭を打った記憶があるので、それが原因で難聴になった
可能性も否定はできません。

「命に別状は無かったが聴覚を失った」という体験は、他の聴覚障害者からも確かに
聞いたことがあります。
それは運命なのだから仕方がないけれども、聴力低下が進行しても、聴覚障害についての
知識もなかった自分は何の対策も立てられず、健常者の世界で孤軍奮闘する毎日でした。


〔④T医大病院〕
認定医に診てもらい、障害の診断書をもらえたのですが、ここでもそれ以外には、
何もありませんでした。

民間の病院での受診体験は以上の通りです。
どこの病院にも共通する点は、行政の障害者福祉とは、結びつかなかったことです。
日本は「縦割り行政」と言われますが、福祉分野でも、こういう事態になっているのです。
これでは難聴者が、支援が受けられないのは当然です。


【3.医療機関と行政との連携システムがないのが問題】
たいていの軽・中度難聴者はおそらく、自分の聴覚障害を疑ったら、まず近くの耳鼻科へ
行って診てもらうかもしれません。

 →http://www.pref.shimane.lg.jp/life/fukushi/syougai/sintai_syougaisya/sinsyousiteii/ninteikizyun.data/2k-tyoukaku.pdf

(私は昔、リハビリセンターで語音明瞭度の検査を受けたのですが、その検査方法も
間違っていたということが、この資料を見て、初めて知りました。
知人に難聴者に体験を聞いても「昔の病院はどこも、そんなものだった」と話しています。)

しかしそうすると、今の世の中でも難聴者は、私の体験と同じ目に遭い、
病院をタライ回しされるだけ、という経験をさせられているかもしれません。
事実、他の難聴者に、そういう経験者がいます。

難聴者に対して、障害認定をしたがらない医師がいたり、デタラメ診断をして医療費を
せしめる医者がいるのはどうしてなのか、私にはわかりません。

それだけではなく、恐るべきなのは、医療は障害者への支援を何もしない、という事実なのです。
医療費タダの特別障害者から無制限に治療費を請求する以外は、です。
特別障害者で、かつ非課税者からの医療費は全員、全額が、税金負担です。
障害者を食い物にするビジネスだったら、止まらないものですが。

これに対して医療が社会的責任を感じていないのはおかしい、と私は思います。

社会福祉協議会で活動されている手話通訳士も、
「医療機関と行政の障害者福祉との連携システムができていない。
だからこうなる(支援がなかったり、遅れたりする)」
と話していました。

これでは支援が手遅れになるわけです。
日本の場合は、
「障害者認定基準が厳しいから、支援を受けられないでいる認定されない障害者
(グレー・ゾーンの人々)がたくさんいる」
と言われるが、そんな言い方はもうおかしいのではないでしょうか?

私ならば、ハッキリとこう言います。

「日本は『手遅れになってからの支援』しかできないのだ」

これは『障害者の経済学』(中島隆信/著)にも書いてある通りです。


【4.親が子どもの障害を隠したり、受容できない事実は、その人たちだけの責任では
ないのではないか?】
これは、私自身の体験については、当ブログで度々書いているし、これからも書くつもりなので、
今回は省略します。

当ブログ『理解されない難聴 消せない記憶』(2011-05-30 00:43)で紹介した、
金(キム)氏の本にも、体験が載っています。

『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由   金 修琳/著』

 →http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80007310
「市役所で障害者認定の申し込みをしてください。そうすると手当てがもらえるかも知れないし、
助けになることもあると思いますよ」
そのアドバイスに、母はものすごい剣幕で叫んだ。
「この子は障害者じゃありません!」
まさか自分の子の耳の障害が、ここまで深刻なものとは、想像もしていなかったのだ。
このとき母は、なにがなんでもこの子を「聴覚障害者」として育てることはしないと誓ったという。


私の知人で難聴の人も、次のように話しています。

「子供の頃、自分はハッキリと認識していたわけでなかった。
でも、周りの子供と比較して、自分は一回で聞こえないので、なんとなく不自由だと気づいていた。
聞こえていた時期というのは明らかにないので、先天性難聴性であることは間違いない。
原因は医学的にハッキリしない。
親は多分、すぐ気づいたと思う。
障害をしっかりと受け止めて、どう対処すべきかの知識や知恵が、他の親より欠けていたと言える。
子供の頑張りに過剰に期待していたのも、結果として良くない状況をもたらした。」


親の考え方だって様々ですが、支援が遅れるのは、本人や親が悪い、というのは言い過ぎでは
ないかと思います。
このような障害を負うようになれば誰しも、心にも障害が生じるものです。
障害をなかなか受容できないのは、誰でも差別社会のなかで生きてきた以上、少なからず
影響を受けているわけで、一人一人にもそういう考え方が少なからず滲みこんでいるとも言える、
と思うのです。
勿論、私の中にも。

障害者問題を見知らぬ人の話と思わず、隣人と思い、一緒に考え、社会のそうした面を少しずつ
変えていくことが、我々の目指す人権尊重社会だと思います。

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by bunbun6610 | 2011-07-31 01:48 | 難聴・中途失聴