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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

手話サークルの交流会で思うこと

手話サークルではときどき、ろう者を交えての
交流会が行われています。
参加者からの感想・意見のなかに、
次のようなものがあります。


①「ろう者はろう者同士、健聴者は健聴者同士
(難聴者もいるときは難聴者同士)で、
固まってしまう。
あるいは、手話ができる人同士、
できない人同士になってしまう。
これでは交流にならないのではないか」
(健聴者、他の障害を持つ健聴者)


②「私は手話がまだできません。
本当はろう者と交流するよりも、
まず手話の勉強をすることが先です。
だから、交流会にはもう出ません」
(健聴者、難聴者)


③「ろう者同士の手話は、私たちが習って
いる手話とは違うので、わからない。
ろう者たちのなかに入ってゆけないし、
自分だけ孤独感、疎外感を感じる。
ろう者はもっと歩み寄るべきだ」
(健聴者、他の障害を持つ健聴者)


確かに①のようでは、一緒にいなければ、
限られた時間内でもあるし、
なかなか歩み寄れなくて仕方がないかも
しれません。

③はろう者も健聴者も一緒にいるわけですが、
一緒でも手話が違っていてわからなければ、
通じません。

しかし、サークルではおそらく、そうしたなかで、
自分の通じるためのコミュニケーション力、
努力を試す場でしょう。
お互いの言葉や、コミュニケーション方法を
学ぶ場でもあるでしょう。

あるいは、交流なので堅苦しくしないで、
気楽に楽しくやればいい、という雰囲気もします。

しかし、それが「お互い」にはなっていない、
ということを言っているのではないか、と思います。

ろう者は「手話だけしかできないから」というのが、
手話にこだわる理由だとよく聞きます。
ろう者の読話力(口などを読み取る)には驚きますが、
逆に伝える力は手話一辺倒で、しかも速すぎて
手話初心者には読み取れないとか、ろう者同士での
「聾語」と呼ばれる、ろう者独特の日本手話になると、
さらに難しくなるようです。

これはつまり、ろう者が健聴者に

「音声言語しか使わない(それに手話通訳をつけない)
のは差別」

と言うのと同様に、ろう者も健聴者に対する差別を
していることになるのではないか?
 という疑問があるのだろうと思います。
当事者はそんな大げさには考えていないと思いますが。

①と③は、言葉は違うけれども、同じことではないかと
思います。

ただ③の場合になってくると、国連・障害者権利条約
がかかわってくる問題になると思います。
お互いに権利があることを認識していなければ
ならないのだから、手話がわからない人の権利も
考えなくてはならないのではないか、と思います。

これが、もしろう者団体主催なら、その情報保障を
逆にしなくてはならない、と考えるのが当たり前でしょう。

現状はそうだとは、とても言えません。
だから、こういう疑問視が、他からは出てくるのでは
ないか、と思います。

これはろう者たちが、ろう者社会よりも広い、
人間社会の中へ踏み出すための、大きな試練
になるのかもしれません。

ろう者が「われわれの権利を保障しろ」と言うのならば、
ろう者も他の全ての人に対して、そうしなければ
ならないはずです。
その問題の前に、障害の有る無しも関係ない。

ただ手話サークルの交流会という場では、
団体活動目的が

「学習、交流を通して手話技術を研鑽し、…」

などとなっていることが多く、その正当性は十分に
あると思います。

そうならば、健聴者や、他の障害者はどうするか?
おそらく、ろう者団体や、その関係団体とは
関わらないようにするのではないだろうか?
それでは確かに、相互理解も進まないだろう。

また、①の意見に対しては、ろう者からも反論は
ありました。

「健聴者だってそうだ。
だから皆同じ。
そういうことを変えろと、ろう者たちに言うことは難しい」

健聴者は、自分たちが普段やっていることに
気づいていません。
その無意識の行動の意味が全然わかっていなくて、
こういうときに他人(ろう者)を非難するようなことを
言っている、と私は思ったものです。

「「無知」の知」ならいいですが、それと健聴者の
「愚鈍」は全く違います。

確かに、交流会の毎度の悩みの一つではあるけれども、
「健聴者にも、もう少し違う言い方ができればなぁ」
と思ったものです。
毎年何回も交流会を開いているのに、
一体何でこんなに(いつまでたっても)、
歩み寄りをしようとしないのかなぁ? と思います。

ろう者も健聴者の意見をすぐにタブー視しないで、
どうすればもっと良くなるか、考えてほしいと思う。
が、その「もっと」という気持ちがなければ、
その先には決して進まないんだ、
ということにも気がつきました。


では、②の場合はどうでしょうか。
これはもう、コミュニケーションの基本、
コツを覚えるということそのものなのですから、

「私はもう、交流会には出ません」

なんて言わずに、頑張ってみてほしいと思います。

お互いに自分の言語(母語)が通じないとき、
どうやってコミュニケーションをするか、
というのは、日常生活でもあるのではないでしょうか。

お母さんは、自分の赤ちゃんに日本語がわからない
からといって、コミュニケーションをとるのをやめる、
ということはしません。
何とかして、伝えてみようとするはずです。

そういうものの一つに、ベビー・サインという
コミュニケーション方法があるそうです。

 →http://www.babysigns.jp/about_babysigns/

また外国人に突然、道案内を頼まれたら、
あなたはどうしますか?

「道を聞かれているんだ」

とわかったら、身振りなどで教えてあげていますか?

それとも、自分は英語が話せないからといって、
手を横に振るだけで逃げてしまいますか?

そんなとき、コミュニケーションができるなら、
あなたはどこの国の人とでも、
耳の聴こえない人とでも、大丈夫だろうと思います。

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by bunbun6610 | 2011-07-27 23:57 | 手話