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マイノリティ・グループの中の、マイノリティ

☆〔マジョリティ〕
 →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3

☆〔マイノリティ〕
 →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E5%B0%91%E6%95%B0%E8%80%85


「I 'm Deaf!(私は、ろうです)」(大橋ひろえ)
 →http://www.sapazn.jp/NCMH.html

大橋弘枝原作/『 もう声なんかいらないと思った』を読んでいない
のですが、私にも

「もう、いっそのこと声なんか捨ててしまいたい」

という気持ちがあります。
日本語を流暢に話せると言われる私でさえ、健聴者には理解し
がたい、そんな苦い経験をしばしばしています。
声を捨てたろう者は、過去の時代からたくさんいます。
私の年配の知人にたくさんいるのです。

「一生懸命、発声の努力をしたけれど、健聴者の皆に笑われた。
だからもう、話したくなくなった。
それからは、厳しいろう学校教育で覚えた口話も、使わなくなり、
喋る力が無くなっていった…」

声を捨てた、ろう者の知人の実話です。


「補聴器を外したろう者」という話もあります。

おそらく、補聴器では音だけ聴こえても、何て言っているのか、
聞き取れないからではないかと思います。
全く効果が無いんじゃ、補聴器を装用するはずがありません。
頑張って補聴器で聞き取ろうと努力したけれども、聞き取れない。
すると周囲からも無視されてしまう。
自分だけ取り残されて

「一体、何のための補聴器なのだろう」

と塞ぎこんでしまう。
ますます、誰にも相手にされなくなってしまう。
聞き間違いをしてしまったら、自己責任になる。
聞き取れないで

「え? 何? もう一度お願いします」

と一生懸命、何度も聞き返すも、相手からはうんざりした表情で
投げやりに言われたり、怒られてしまう。
これでは、そんな努力するのがイヤになるのは当たり前です。

でも、そんなことをしたら一体、どうやって健聴者社会のなかで
生きていくのか?

誰しもそこに興味津々になります。
(実は、補聴器を理解しなければならないのは健聴者の方なのを、
誰もご存知ではありません)

聴覚障害児は誰しも、学校卒業行後は、自分のアイデンティティ
の問題よりも、マジョリティ・グループでの共存を試みます。
しかし、そこで待っているのは共存ではなく、実は自己意識の
埋没です。
「共存」と「埋没」は全く違います。
埋没は、聴覚障害者の心を蝕むのです。
マジョリティの原理が、マイノリティの者へ埋没を半強制している
のです。

自分の運命は変えられます。けれども、一体どうやって?
その答えを、彼らは皆、自分で探し求め、実行していくしかありません。

「I 'm Deaf!(私は、ろうです)」

自分の属性をこう、ハッキリと言える人は自分の主体性を持っている、
と思います。
苦しみは人それぞれにあり、経験するのが人としての使命です。
それは皆同じ。
苦しみを乗り越えた喜びの質量も、皆当然に違います。
その人にしか、味わえないもの。


東京ディズニー・シーのサインマイスター・RIMIさんは、自分の
講演会で、いきなりこう言いました。

 →http://homepage3.nifty.com/yufu/rimi%20live/yobou.html

「私は、ろう者でも難聴者でも健聴者でもありません」

彼女は自分の障害について、いきなり、聴衆にこう自己紹介しました。
びっくりしましたが、それらのどこにも入らない、自分の存在を、
このように説明した気持ちは、私もわかるような気がします。

「そんなに細かいことまで、気にしなくてもいいじゃないか」

と思う人は多いと思います。
しかしやはり、マジョリティには、マイノリティの苦しみがわかり
にくいようです。

RIMIさんの耳では、音が聴こえても、言葉がわからないそうです。

「それでは、感音性難聴ではないか」

と思ったのですが、彼女は自分で別の障害名を言いました。


私の場合は、次のようになります。

「私はろうでも難聴でも中途失聴でもありません。
子どものときから原因不明の難聴でしたが、
今はほとんど聴こえません」

これを誰にでも簡単に理解できるような用語は“ない”のです。

こういう病気や障害が、人類の歴史のいつごろからあったの
かはわからず、現代医学でも呼び名もつけられず、放置されて
いるようです。
つまり、私は自分に合った説明のできる障害名を持たない
聴覚障害者なのです。
こういう聴覚障害者が、知人にもいますが、その数は実にごく
わずかです。

よく人から

「あなたの聴覚障害はいつからか? 原因は何か?」

と聞かれます。
それに答えるのが大変なので、そのうち面倒になり

「中途失聴者です」

と言ってしまう。
すると次は

「前は健聴者だったんだ。
いつから聴こえなくなったの?」

と聞かれます。

「やっぱり、これはマズイかったな…」

と後悔することもしばしばです。
簡単ではないのです。

ろう者からは「難聴」と言われます。
これも実は、後になって困ったことになる原因のひとつです。
他人がどう思おうが勝手でも、情報保障やその他の合理的
配慮には、影響を与えることだからです。

聴覚障害者団体の受付にだって、「ろう者/聴者」や
「ろう者/難聴者/聴者」しかないのが、ほとんどです。
「中途失聴者」はほとんどないのです。
だから私は、そういうところへ行くと「ろう者」です。
ろう団体の人から「難聴」と言われてもそうしないのは、
自分が「医学的ろう」の立場という理由からです。

聴覚障害者は「マイノリティ・グループ」だと、よく言われます。

厚生労働省の統計でも肢体障害者に比べ、聴覚障害者は
約1/8です。

※ただし、大多数の難聴者は、この統計数字に含まれていません。


でも、ろう者集団のなかのろう者は、その集団内では
マジョリティです。
中途失聴・難聴者集団のなかの難聴者も、その集団内
ではマジョリティです。

けれども、その反対に中途失聴者や、私のような人は、
そこでもまたもや、マイノリティになってしまいます。
入会しても結局、マジョリティの会員に馴染めず、
辞めてゆきます。
そうしたことが最も大きく影響するのはマイノリティの内面、
つまり心なのです。

見た目は、私は健聴者に近いです。
しかし生い立ちは先天性難聴者で、そういう苦しみを
経験して育ちました。
しかし、今の聴力は、実は「両耳全ろう(deaf)」です。
手話は、自分の母語ではありません。

私は最初は難聴者社会に入ってみましたが、そこには
馴染めないと思い、出てゆきました。
しかし、ろう(Deaf)になれるわけでもありません。 〔※参考A〕
それでも悩み続けた末、2つのうちの、ろう(Deaf)社会
との関係をより強く持つことにしたのです。
私は普通学校だけに通いましたが結局、両親、健聴者
社会から距離を置く決意をしました。

自分がその社会に入っても、彼ら(Deaf)は私をdeaf
だと見るのはわかっています。
しかし、それでもその社会を選んだのは、自分は難聴者
の経験だけでなく、ろう者(Deaf)が受けてきた差別も
経験したからです。
その点を、難聴者は経験していません。
だから、難聴者社会では自分のことを理解できないのが
当然なのです。

私のことを知れば、聴覚障害児を持つ親は、自分の子も
普通学校へ行かせて、あえて厳しい環境で育てたい、
と思うだろうと思います。
それが、今の聴覚障害児教育の潮流になっているのでは
ないかと思います。

しかし、それで子どもが将来、大人になって親に感謝するか
どうかまでは、誰にも保証できないと思います。
親(健聴者)の幸せと、子(聴覚障害者)の幸せは、
同じであり、共有できるものとは限りません。
子どもと心をひとつにするということはどういうことなのか、
聴覚障害児を持つ親は真剣に考えて
ほしい、と思います。

〔※参考A〕⇒
『「ろう文化」案内』
(キャロル・パッデン/トム・ハンフリーズ 著,
森 荘也/森 亜美 訳)(晶文社,¥1.800‐)
 P17~18


マイノリティ・グループの中の、マイノリティ_a0196876_23101898.jpg

by bunbun6610 | 2011-06-11 23:08 | 聴覚障害(ろう、難聴、中途失聴者)の特徴

ある障害者から見た世界


by bunbun6610