理解されない難聴 消せない記憶

当ブログ

『聴覚障害者が書いた本』
〔2011-05-08 23:32〕

で紹介しましたが、

『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由   金 修琳/著』

 →http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80007310

私も、この本を読んでみました。


聴覚障害って、やっぱり周囲の人が気づきにくい障害です。
すると、当の本人ですら、自分が聴覚障害がどうなのか、
よくわからなくなったりします。

子どものときに聴覚障害になると、なおさらそうなりやすいです。

私の知り合いのろう者は、両親が共働き(農家)で忙しかったため、
それで自分の聴覚障害には気付いてもらえなかった、という。
それで、たまたま近所のおじいさんに指摘されて、
やっと気付いたそうです。

私の場合も、両親は共働きで、私には構っていませんでした。

金さんと同じく、東北から手伝いに来ていたおばあちゃんの
そばにいました。

そして、私も障害者手帳を取得したのは、金さんと同じく、
成人後、自分で申請してでした。

本当に就職できず、困っていたとき、たまたま求職活動中に
行った手話サークルで「障害者手帳の申請をした方がいい」
と言われてから、でした。

それまで何の障害者福祉支援も知らず、馬鹿みたいに
損をしていました。

原因は母にあるのか、世の中なのか…。
私は、その怒りのぶつけどころもわかりませんでした。

「どうも自分は周囲の子とは違う。
おかしいな、何でだろう?」

とは自分で感じはじめるのですが、周囲の人が

「この人は間違いなく聴覚障害者だ」

と認めない限り、誰も対策はとりません。
それで手遅れになりやすいのではないか、と思います。

そもそも、突発性難聴というのは手遅れになると、
治らなくなってしまうそうです。
(症状が表れたのがいつかもわかりませんので、
先天性の聴覚障害である可能性が濃厚です)

耳が腫れるでもなく、血が出るのでもないので、
危険性など本人も察知できるはずもありません。
そういうことが、まずわかります。

私の人生も、同じような体験は幾つもあります。
周囲の理解がないことが子ども心にはとても辛く、
寂しいものでした。
それが自分の人格形成に影響を与えたことは、
間違いありません。

聴覚障害は、いつ聴覚障害になったかで、
人格への影響作用が異なります。
生まれつきだとアイデンティティを持てない、
確立が遅れる、ということがおこると思います。
私はそうでした。

自分が周囲から初めて精神的影響を受けたのが、
中学2年のときだったと記憶しています。
それまでは、自分から他者との関係を考えるという
ことはなかったかもしれません。

ろう学校は耳が聴こえなくても、子どものときから
手話で会話ができるそうですが、聴こえないのに
普通学校に通っていて、聴覚障害とは何かも、
誰も知らなかった時代だったので、コミュニケーションの
工夫は難しかったと思います。

中途難聴の人からも

「聴こえなくなっていくと、アイデンティティが崩壊する」

という自らの体験話を聞きました。

軽度難聴者でも、その悩みは相当なものです。

老人性難聴の人も、難聴が進行するほど、
孤立しやすくなるそうです。

しかしそれでも、社会は依然としてこの問題に無関心、
無理解なのです。

「わからなかったら、もう一度聞き返して」

と言い、次は

「そのぐらいで、障害者だとは言えないよ」

と言い、その次は

「障害者に生まれたんだからしょうがない」

と言い、そして今度は

「もう歳だからしょうがない」

と。
この、延々と続く健聴者の一方的な論理に、
難聴の人は振り回され続けてきたのです。

確かに、聴覚障害を負うと皆、どこか心に
障害ができてしまいやすい、とは言えそうです。

それが、関係障害の、心への影響だからだと
私は思います。

専門家も

「もっとも恐ろしいのは、この二次、三次障害のほうだ」

と言っています。

( 参考 →http://www.jaswdhh.org/?tag=%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B


私の記憶にずっとある、辛いものも、母の言った言葉です。

「お前がちゃんと聞かないから、悪いんだ!」

そう言って、小学生だった私は母に殴られました。

父母の無理解、無関心…。
妹まで

「自分は小学校2年生頃には兄は耳がよく聴こえていない、
と気付いていたが、しょうがない」

と言う。
それだけでなく…

私を最初に差別した人間は母だという事実は、
生涯変わりません。

また、中学校の担任先生は、私の耳がおかしい
ことを疑い、母に尋ねたのですが、それでも母は

「そんなことはない」

と否定しました。
子どもの私はそれを

「母は自分の世間体を保つために、否定したんだ」

と思い込みました。
その後も母からは

「おまえは耳が聴こえないと周りに言う必要はない」

と言われました。
そうした言葉は私にとってとても寂しく、
孤独という大きな陰をもたらしました。

おそらく健聴者の全員がこれを読んで

「聴こえなかったのなら、
何でこういうことが書けるの?」

と思うでしょう。

実際、わからない健聴者が多いのが事実なのです。
だから私はそんなことには全然驚かないです。

どうせ、こういうことを経験したことのある
感音性難聴者にしか、わからない障害なのです。

もし私が健聴者だったら、聴覚障害者を見たって、
同じように無関心で、無視すると思います。

恨み言を言っているのではなく、この障害は、
そういう障害なのだと思います。

もう忘れたくても

「忘れたほうがいいよ」

と言われても、どうしようもない記憶なのです。


私のろう者知人にも、親と絶縁状態の人がいます。
長男でしたが、家の跡継ぎの権利を、親から奪われました。

「お前には無理だ」

と言われ、家の跡継ぎは弟になったといいます。


聴覚障害者の入所施設で暮らし、孤独なまま老齢で
亡くなった人もいます。

難聴の知人にも、親の理解がなかった、という人がいます。

関係障害で心に影を落とす聴覚障害者は、
思っていたよりも多いのです。

ろう女優の岡田絵里香さんの場合は、両親に捨てられた
経験を持っており、金さんと似ています。
 
 →http://topicsnow.blog72.fc2.com/blog-entry-484.html

金さんの場合は「理解のない母」なのか、
「理解とは違うが、母なりに教育を考えた」からなのか、
あるいは他だったのか、私にはわかりませんが、
彼女の場合も母との関係は、
普通の親子とはやはり違っていた。

この本を読んで、金さんの体験は私や他の聴覚障害者と
もかなり共通点がある、ということがわかります。

同時に、聴覚障害者とはこういうものだという厳密な
定義も存在しないし、親の教育や受けた学校教育、
周囲の人的環境、受けてきた支援方法、本人の受け止め方など、
様々な要因の影響を受けて、それと聴覚障害の状況
(聴力程度、性質、失聴時期など)と併せて、
千差万別になります。

それはつまり、世の中には家族に聴覚障害を持つ人がいても、
きちんとした理解と対応をしている家庭もあり、
聴覚障害児が生まれると皆そうなるのではない、
ということも、読者は忘れないで読んでほしいと
思います。

それと、中途難聴や失聴した時期によっても、
コミュニケーション能力や方法は異なります。

高齢者でも、誰もが努力すれば読話や手話ができる
というのではないということも、忘れないで読んでほしい、
と思います。

高齢になるほど難聴者になる割合は著しく高くなり、
それからでは勉強しても読話も手話も覚えられず、
孤独に苦しむ人は多いです。

金さんのようなすごい能力を持った聴覚障害者もいますが、
だからといって障害は、誰にでも自己努力で克服できる、
というものではありません。

障害の克服能力には個人差があり、人権保障は
平等社会の基礎とならなければならないと思います。

同時に、今の社会に存在する障害は何がもたらしているのか、
読者は冷静に考え、知ってほしいと私は思います。

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by bunbun6610 | 2011-05-30 00:43 | 難聴の記憶
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