(仮称)情報・コミュニケーション法を考える

聴覚障害者の前にあるバリアって何でしょうか。
一般の方はよく「耳が聴こえないから」といった答え方をします。
つまり障害者の持つ身体特性が、障害の原因なのだと。
しかし、障害者になる可能性は誰にでもあり、
障害だと決めるのも、健聴者の側が一方的に決めつけた結果です。
当事者の一人である、私が言うと、バリアとは「人」なのです。
人は味方にもなるし、敵にもなります。
それは自分次第ということも、全く否定はしませんが。
この表現は本当のこととはいえ、やはり抵抗感を持つ人が多いので、使わないのです。
別の表現にするなら、目には見えない「差別」に度々、直面しています。

健聴者も一般によく感じるバリアには、①物理的 ②制度(法律) ③自分と他者の心 の3つがあると
言われています。

 1.物理的な壁
 2.制度(法)の壁
 3.心の壁
 4.情報障害の壁

しかし、聴覚障害者などには特に4番目に「情報障害の壁」があると言われ、これが目には見えない、
理解されにくいバリアと言われています。

ただ、これがバリアの正体であっても、現実に相手に向かって、そのことを伝え、理解してもらうのは、
バリアが見えないことのさらに上をいく、最難関の問題です。
もしあなただったら、それを自分で相手に伝えて、完璧に解決して行くことができますか?
ここまで想像してみることは、(仮称)情報・コミュニケーション法の是非をめぐっては、
意味のあることだと思うのです。

必要なのは誰でもわかっています。
しかし実際にそれを行うとなると、さまざまな困難にぶつかります。
そこでよく出てくるのが「関係障害」なのです。

これほど人間関係を不味くするようなことを、普通は言えるわけがありません。
でも言わないと、相手は目に見えないバリアに気づいてくれません。
「気づいてもらいたい、というのは甘い」と言った、著名な専門家(健聴者)もいました。
先生は「(聴覚障害を持つ)自分から(障害があることを)言うべきだ」と。

それに対し、ある一人の難聴者はやむを得ないように
「先生は、言おうにも言えない、難聴者心理をご存知なのですか?」
と切り出しました。
すると、先生は「そんなことは関係ない」というように、自分の持論を続けました。
確かに、先生の言われることも一理はあり、私も賛成できるところはありました。
それでも、やはりこの先生は、難聴者心理の形成は人によってはかなり長い歴史になるということも、
またそれをすぐに変えることも難しいということも、よくご存知でないのにモノを言っているんじゃないか?
と思いました。

専門家でもこんなふうなのですから、一般の人々には考えてもらう余地すらないのが普通です。

もし、仮にうまく気づいてくれたとしても、そういう人生経験のない相手に、
どうやってさらに理解してもらえばいいのでしょうか?

そういう葛藤を心の中に抱える中途失聴者・難聴者は少なくないと思います。

そして、多くの中途失聴者・難聴者は、この問題を放棄してしまっているのではないでしょうか。

当事者側から手始めにやれることは色々あっても、真の解決に結びつく方法は一つの道を通る以外に
なさそうです。
それは、相手(健聴者)から中途失聴・難聴者の世界に入ってみることです。
一生でなくとも自ら体験し、中途失聴・難聴者の立場になって、その状態でどう生きられるのかを、
考えてみることです。
そんな勇気のある人を待っている中途失聴者・難聴者も、きっとあなたのどこかにいるはずです。

差別と感じるか否かは、その人の心のあり方の問題だ、とする考え方があります。
でも、それを障害者の方にだけ一方的に求めるのは、本当の平等社会なのでしょうか。
健聴者の心のあり方も、変えてゆく努力をしなくては、本当の歩み寄りにはならないのではない
でしょうか。

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by bunbun6610 | 2011-05-11 06:48 | バリア&バリアフリー
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ある聴覚障害者から見た世界


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