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聴覚障害者バリアフリーとは -Ⅱ

難聴者と中途失聴者は違うとはいえ、
言葉を話すことができ、
文化的な面などで共通点も多い。
ですから、世間ではよく混同されることも多いわけです。
バリアフリー論で両者が共通点を見出すことは、
やはり「音の世界を知っていること」なのです。

この過去の経験ゆえに、聴こえる世界と、
聴こえない(音がわからない、
またはよくきこえない)世界を比較するのです。
それは「音のない世界」に住むろう者とは、
決定的に違う点なのです。

たとえ聴こえなくても、音がないのではない。
自分だけ聴こえなくなったのだと、
中途失聴者は常に思考するのです。

ですから、

「耳が聴こえないのは不幸だ」

「聴こえないのは不自由、不便だ」

「聴こえていた頃に戻りたい」(聴覚機能を取り戻したい)

と感じる人が多いのです。

そしてこの点から、ろう者と、
中途失聴者・難聴者のバリアフリー観も
異なっているのではないか、
と私は思うのです。

(それは、手話に対する考え方の違いにも、表れています。
中途失聴者や難聴者にとって手話はバリアフリー手段ですが、
ろう者にとっての手話は、
自分たちの言語であり文化なのです。)

ただ、ろう者と中途失聴・難聴者の心理的相違はあっても、
社会にバリアがあることは事実です。

専門家からは

「聴覚障害はその障害よりもむしろ、
二次障害(関係障害など)のほうが怖い」

と言われています。
この説明はとても長くなり、難しいので、
わかりやすい例えを出してみます。

3月11日の東北地方太平洋沖地震は自然災害です。
これは仕方のないことで、
これが中途失聴者の聴覚障害発症と同じだとします。

しかし地震の後の、政府の対応遅れとか、
原発事故の一連の対応などは、
人災だと言われています。
この人災に当たるものが、
聴覚障害者の受けている二次障害と同じだ、
と言えるわけです。

私も昔、健聴者のフリをして生きていた頃は、
差別なんてさほど、感じませんでした。

しかし、聴力低下により聴覚障害を隠せなくなり

「私は聴覚障害者です」

と言うと、世間から差別を感じるように
なったことを憶えています。

今でも自分の聴覚障害を隠して生きている難聴者は
大勢いると考えられます。

それはⅠで述べましたように、
本人が障害を受容できないことや、
差別的扱いを受けてしまうのが怖いとかいった、
他者から受ける二次障害をできるだけ避けたいから
なのです。

しかし、当事者は避ければ一時的に
苦しみから逃れることができても、
問題解決するわけではないので、
そういう苦悩は当事者の心の中で生涯、
延々と続くことになります。

差別は、それが意識的・無意識的とに関わらず
人災であり、二次障害なのです。


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by bunbun6610 | 2011-04-23 22:24 | 情報のバリア&バリアフリー

ある障害者から見た世界


by bunbun6610