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蒼穹 -そうきゅう-

「コミュニケーション力」とは

4月9日(土)午後3:10~3:58(再放送)に、
NHK総合テレビで

『東京外国語大学スペシャル;「コミュニケーション力!」』
(→http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20110407.html

という番組が放送されました。
内容はすべての人に興味深い(はずの)コミュニケーションについてでした。

ろう者の言語である手話も、過去に数本のテレビドラマで話題になり、
そのコミュニケーション力に魅了された方は多いと思います。

ただ、手話の音声言語よりも優れている点が何かということは、
まだほとんど知られていません。

それでも、こんなに厳しい世の中でも手話を習ってみようかと、
地域の手話講習会に通い始める人が絶ちません。

なぜなのかはよくわかりませんが

「ろう者とコミュニケーションしてみたい」

という目的は当然にあるだろうと思います。

ところで、番組司会の爆笑問題は、以前にこの番組で、
盲ろう者の福島智氏とも対談しています。

(→http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-2344.html

コミュニケーションに関する話は心得ていて、聴覚障害者のことも
含めた幅広い考えを持っているように思います。

今回のゲストは、コミュニケーションのプロを目指す、
東京外国語大学の学生さん多数で、聞いていて人それぞれ、
いろいろな考え方があると知りました。

今、私は「聞いた」と書きましたが、実はテレビの音声を聞き取ることが
できませんので、実際は字幕を読んでいました。

昨年、デジタルテレビに買い換えてから、
字幕でテレビを観られるようになったことは、
私の人生では歴史的なことなのです。

それから、トーク番組というものを、テレビで観て話の内容まで
知ることができるようになったのです。

昔はテレビに出ていたビートたけしを「つまらない」と言って、
周りの人の怒りを買ってしまったことがありました。

「毒舌トーク」「ブラック・ユーモア」と言われていたくらいだから

「たけしは尊敬されていない人なんだな」

と思っていましたが、実はたけしは国民的に尊敬されている
日本人らしいことが、その出来事で、やっとわかったのです。

私の場合、たけしが話す内容がどんなものか、実際に知ることが
できたのは、やはりデジタルテレビを買った昨年からなのです。

本当はデジタル化する前から聴覚障害者用文字放送デコーダーが
昔からありましたが、ブラウン管テレビに接続しても文字が小さくて、
あまり観る気になれなかったという記憶があります。

爆笑問題の話題に戻りますが、コミュニケーション力とは

「伝える力」と「読み取る力」の両方で成り立つとか、

「大人になった男と女が一緒に暮らすことが難しい。
国籍、言語は関係ない」

とか、

「一方通行的な話であってもいい」

という意見もありました。

「一方通行でもいい」というのは、どうなのでしょうか?

確かに

「話し手と聞き手がちゃんといて、納得できればいい」

ということはコミュニケーションではない、
ということにはならないと思います。

どのように考えるかは個人の自由ではありますが、
コミュニケーションとは基本的には自分と、相手がいて
成り立つもの、と考えますから。

その意見を言った人の場合は

「聞いているだけでも面白い話をしているから」

という理由らしい。

一方通行的に思えるもので他に考えられるのは

『シラノ・ド・ベルジュラック』
(→http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11112)

の恋愛や、『聖書』を思い浮かべやすいと思います。

ただ、聖書は本当に著者から読者への一方通行的なものなのかというと、
どうも違うらしい。

私は一応、無宗教なのですが、何も信じないというわけでもありません。
それに、障害者として生まれた以上、いかなる「偏見」も人一倍、
大嫌いなのです。
それに、宗教を無視して、他の人を理解することなんて、
果たしてできるのでしょうか。

欧米はもちろん、昔から中東問題も話題になっていますが、
それを理解するには、宗教的背景を知ることが欠かせません。

日本人は「宗教とは関わりたくない」という人が多いかもしれませんが、
外国人にそんな人はまずいないと思います。

ということは、コミュニケーション力に宗教への理解も、
外国では欠かせないのでは? と思います。

そしてそれは、言語文化でも同じことが言えると思うのです。
聴覚障害者も、手話を母語とする人と、日本語を母語とする人とでは
やはり違いがあり、違いを認め合う関係になることが、
コミュニケーションでは大切になると思うのです。

もし両者の間に、どうしても通訳が必要ならば、
通訳をつけることを認めるのは、円滑なコミュニケーションにする
ために重要です。

でも、その逆になってしまった例のひとつが、
同じ聴覚障害者同士で起こっている、あの手話論争ではないか、
と思うのです。

何十年もの間、異なる言語、異なる文化、異なる生活、
異なる集団のなかで生活してきた以上、一緒にするなんて、
簡単なことではありません。

また聴覚障害者と健聴者の「歩み寄り」だって、限界があるのです。

それは私にとっては、一歩誤ればコミュニケーションを曖昧模糊に
されてしまいがちになる、妥協の産物のような方法なのです。

今まで私は「歩み寄り」には何度惑わされてきたことだろう。
相手に「あなたは歩み寄るべき場所をわかっていない!」と
叫びたくなったことも、何度もありました。

これからは「歩み寄り」より、「互いに認め合う」ことを重視していきたい、
と私は思います。

わからなかったら相手に「書いて下さい」と頼み、あるいは「通訳」が
必要ならきちんと依頼する――これが私のコミュニケーション力となります。

喋る力があっても、相手の話を聞けなければ、コミュニケーションにならない
ことは、私自身がもう、よくわかっているからです。

まさしく、コミュニケーションとは、自分だけの努力では成り立たないのです。
それを私はよく知っているのです。

耳が聴こえないからこそ…。


下記の本は、言葉を知らずに大人になったろう青年と、
手話通訳者との交流を描いた、感動的な実話です。

コミュニケーションで大切なこととは何か、それがよくわかり、
特に手話通訳者を目指す方へおすすめしたい本です。

『言葉のない世界に生きた男』(A Man Without Words)
【序文】オリバー・サックス
スーザン・シャラー(Susan Schaller)著 中村妙子訳 (1993年6月25日発行,晶文社 \2.400-)

 →http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/recommend/genre4/schaller.htm

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by bunbun6610 | 2011-04-12 21:04 | コミュニケーション能力