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蒼穹 -そうきゅう-

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障害者運動

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)

 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html


「『あらゆる障害者の運動』
自立(independence, self-sufficiency)、メインストリーミング(mainstreaming)、
社会問題としての障害者問題(disability as a social problem)。
PDSPはこれらの概念を中心に発展し、障害者権利運動の最先端を担った。
この過程に気づいたのは、あらゆる障害をもつ人たちが障害者の権利を求める
闘いを共有できるということだった。
それまで障害者は、どちらかといえば各障害者別にグループをつくってばらばらに
活動しがちで、共通の目的のために何かをするということはなかった。
バークレーのこのPDSPでさえ、「身体」障害者のために設立され、
車椅子利用者によって運営されていた。
しかし、プログラムがスタートすると、視覚障害者が援助を求めてきたりして、
たとえ障害が違おうとも、自立達成に関しては共通の意識や問題を抱えていると
わかった。
だからPDSPは、介助者紹介サービスに、視覚障害者のための代読者も入れる
ようになった。
もともとロバーツの研究は、コミュニティの組織化や連合の形成による政治力の
強化だったので、こうした事実から学ぶことは大きかった。」



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この本のタイトルには「全米障害者運動」が使われており、
例えばアメリカのろう運動も書かれています。
ギャローデット大学での、ろう学生主体によるボイコット事件も
書かれています。

私は昔、障害者運動には否定的でした。
自分の中で勝手に、反社会的な運動という
イメージが先行していたためか

「それは健常者との歩み寄りにならないから」

という漠然とした理由を持っていました。
でも、今は全く違う意志によって生きています。
今までの「歩み寄り」は、まだ本当の歩み寄り
ではなかった、と思うようになりました。

私が記憶に残っている日本の障害者運動で、
30年以上も昔の、車椅子障害者が国鉄の駅に
バリアフリーのためのエレベーター設置を求める
運動があります。

今でこそ、いたる駅にエレべーターが設置されていますが、
30年ほど昔は、まだなかったのです。
その頃では

「お金がかかり過ぎるから、エレベーターの設置は難しい」

という健常者の声が、あちこちで聞かれていました。
それで車椅子障害者は駅を利用できない、電車に乗れない、
という移動手段の制限を受けていました。

これでは車椅子障害者の就労にも影響します。
今でも障害者枠の求人票には

「自力通勤が可能な者」

とか

「車での通勤不可」

とかいう条件が多いのです。
これでは能力があっても、働かせてもらうことは難しかった、
と想像に難くありません。

それに抗議したのか、車椅子障害者が集団で無理矢理、
駅ホームに強行突入しようとした事件が起こりました。
制止する駅員の腕を振り払って、それでも入ろうとしている
雑誌写真を見た記憶があります。

しかし昔の私は

「そういう、ルールを守らない行為は良くない」

と当時は思っていました。

でも、今思うと「彼らは正しかった」と思います。
彼らの行動の背景を知らなかったその頃と、
知っている今とは行動の解釈が違っています。

車椅子障害者たちの運動によって今日では、
エレベーター設置は急速に進んでいますが、
どういうわけか車椅子障害者が利用している場面は、
未だ滅多に見かけません。
実際の利用者は健常者が、お年寄り、
妊婦の方、ベビーカー利用の方などが圧倒的に多い。
なぜなのでしょうか?

私は、この恩恵自体は公平だと思っています。
ただし、私も本当のところはわかりませんが、
これで果たして車椅子障害者たちの
問題は解決したのかと言うと、
違うのではないだろうか、と感じています。

もしかしたら、車椅子障害者たちの就労が
進んでいないのかもしれません。
何か理由があるのではないでしょうか。

しかし、それでもバリアフリー・エレベーター設置は
できたのです。
日本も車椅子障害者の運動の結果、いろいろな人が、
あのバリアフリー・エレベーターを利用できる世の中に
変わりました。
それには、車椅子障害者だけの益になるのではない、
ということが、ようやく認知されてきたからなのかも
しれませんが。

車椅子障害者は他にも、聴覚障害者への支援者として、
パソコン要約筆記や手話通訳をされている場面を
見たことがあります。
他の障害者と助け合う、そうした輪が徐々に
広がりつつあります。

聴覚障害者も、情報バリアフリーなど、
他の障害者と方法は違っても本質は同じ問題点を、
ともに解決していく輪を大きくしていくため、
力を合わせていけるといい、と思います。
# by bunbun6610 | 2012-05-26 17:44 | 哀れみはいらない

筆談ボード対補聴器

就労後の聴覚障害者問題(Q社)

『筆談ボード対補聴器』

このタイトルでは何の話かわからないと思いますが、
補聴器も使う聴覚障害者だったら、読み進んでいくうちに
理解できる方もおられるのではないか、と思う。

近年は難聴者だけでなく、ろう者も補聴器を装用している
人が増えてきています。

「自分は、補聴器をしても効果がないから」

と言って、使わないろう者もいますが、使うろう者には

「補聴器で話の内容までわかるわけではありませんが、
音を聞きたいから」

という方もいます。
健聴者とともに働いている以上、音のマナーがあり、
配慮しているということもあると思います。
私も、よく周囲から

「声が大きい」

とか

「物音がうるさい」

などと注意されることがあるくらいです。
ですから、会話が完全にならなくとも、
そういうことに配慮する上で、
補聴器を装用する意味もあります。

ところが、この理由に納得できないように
感じている健聴者もいましたが。

補聴器を装用して音が聞こえるようにはなっても、
話しの内容まではわからないこともあるわけです。
しかし、健聴者はよく勘違いしています。
つまり

「聴覚障害者でも、補聴器をしていると音が
聞こえているから、
話しも聞き取れている」

という勘違いです。
この勘違いはかなり多いようで、ほとんどの健聴者は
職場に用意された筆談ボードを使用しなくなってしまいます。
会社の健聴者は筆談ボードを買うだけで、誰も使わないのが
現実です。

実際は補聴器で聞き取れない場合は、

「今、聞き取れませんから、筆談ボードに書いて下さい」

と頼むのですが、書いてくれず、何度も何度も繰り返し
言い続ける健聴者がいます。
私が返事ができるので、聞こえると思っているのは
無理もありませんが、健聴者にわかっていない
ところがあるために、この言い合いのデッドヒートが
続いてしまいます。

そのため、聞こえる条件のときは補聴器、
聞こえない条件のときは筆談ボード、
という使い分けは、難しいようです。

聴覚障害者側の自分が判断し、補聴器を装用していても、
筆談ボード使用をお願いする場合がありますが、
なかなかそのお願いが聞き入れてもらえない、
という悩ましき現実があります。

それでこの悩みについての話題を
『筆談ボード対補聴器』としてみたのです。
なかなか面白い皮肉だと思います。

筆談(視覚情報によるコミュニケーション手段)と
補聴器(音声情報によるコミュニケーション手段)は
確かに、本当に聴覚障害者の感音性難聴を
理解している健聴者でないと、なかなか仲良く併用はされず、
対立してしまう現実だな、と思いました。

どうしたらいいものだろうか。
失敗を続けながらも、健聴者に少しずつ理解してもらうしかないだろう。

しかし、それでも全然理解は進みません。
だから私の場合は、次の例もあります。


『職場の人に筆談してもらう方法』(2011-06-02 18:00)

『職場の人に筆談させる方法』(2011-06-09 18:00)

『職場の問題事例をコンプライアンス部に告発(1)』(2011-10-19 01:17)

『職場の問題事例をコンプライアンス部に告発(2)』(2011-10-19 21:59)

『職場の問題事例をコンプライアンス部に告発(3)』(2011-10-20 21:12)

『職場の問題事例をコンプライアンス部に告発(4)』(2011-10-22 18:31)


聴覚障害者のこの長い自己努力によって、
会社はやっと、重い腰を上げざるをえなくなったのです。
私は仕事以上に、エネルギーを使い果たしていました。
# by bunbun6610 | 2012-05-22 22:27 | 職場の回想録

幼児時代の「無口」の記憶

松森果林氏のブログ

『松森果林UD劇場~聞こえない世界に移住して~』

には、最初の記事

『日常劇場』(2007年8月12日)

 →http://d.hatena.ne.jp/karinmatasumori/20070812

に、ご本人の自己紹介が書かれています。
自身を中途失聴者と紹介しています。

つまり健聴者のときもあった、という。
これは、本人もハッキリと自覚している事実。
だから、健聴者から難聴になり、数年間を経て失聴に至った、
と説明できるわけです。

こういう人ならおそらく、私の聴覚障害についても、
“途中で失聴した”ということは、わかってくれるだろう。

ただ私は、自分が元・健聴者だったと思える
記憶はありません。
原因不明なのでわからないのですが、
少なくとも物心がついたときからは、
もう難聴のようでした。

言葉を覚えるのが、他の子どもと比べて遅く、
そのため自分が喋りだしたのは幼稚園の頃でも、
果たしてあったのかどうか、ほとんど記憶にありません。

確実に覚えているのは、その頃は全く無口な子どもでした。
ですから、聴覚障害児ではよく言われるように、
周囲の子とのコミュニケーションも全く苦手でした。
両親と楽しく話した記憶さえ、ほとんどないのです。
自分の幼児時代は、言葉を覚えるのが遅かったこと、
そして、コミュニケーション能力の発達も遅れていた、
と確実に記憶しています。


(それでは「どうして今は言葉を喋れるのか?」と、
よく聞かれるのですが、それは感音性難聴だったからだ。
感音性難聴は全く聞こえない場合もあれば、
中途半端に聞こえる場合もあり、
さらに完全に聞こえる場合もある。
それは、自分で完全にコントロールすることは出来ない。
だから「聴き取り難い聴覚障害」として残り続け、
完全解決は難しい。
しかし、健聴者と同等ではないまでも、
どうにか言葉を覚えることはできたわけです。

感音性難聴障害についての詳細は、当ブログ

『感音性難聴障害を、健聴者や、ろう者にどう説明するか』
〔2011-07-23 00:10〕

を参照。)



私の場合は、松森氏のような中途失聴者ではないかもしれません。
では、自分は何と呼べばいいのか。
他人に、何と紹介すればよいのか。
それも全く分からないまま、今日まで生きてきました。

「中途失聴者です」と自己紹介すれば「元・健聴者だった」と思われる。
あるいは「難聴者」でも「中途難聴者」でもない。
「失聴者」と言うと、やはり「元・健聴者」だと思われるから、
この言葉を使用しても、正確な説明はできません。
かと言って「ろう者」でもない。
自分は一体、何者だと言えばよいのだろうか。

結局、このために自分の聴覚障害のことを、
正確に説明することは難しいし、
周囲の誰にも理解できないのだろう。

だから、「あなたは珍しい聴覚障害者だ」と言われたり、
よく誤解されたりするわけです。

健聴者もろう者も難聴者も中途失聴者も、
誰も私のことを理解はできないだろうと思います。
# by bunbun6610 | 2012-05-21 23:11 | 聴覚障害

職場での音声コミュニケーション障害に疲れて

健聴者は、聴覚障害者が健聴者との音声
コミュニケーションに、ものすごいエネルギーを
費やしていることがわからないようです。

聞こえづらい不完全な耳で聞き、
健聴者の話すことを理解するのが、
聴覚障害者にはいかに大変なことか。
その内部にある苦しみが、健聴者には
全くわからない。

特に職場で、健聴者には何の困難もなくできる
会話が、聴覚障害者にはできなかったりする。
健聴者には気軽にできる会話が、できなかったりする。
それでものすごく、疲れてしまうのです。
何気ない会話をしていても疲れてしまうので、

「もう話しかけてこないでほしい」

と思うことさえ、ある。
でもお給料を貰って仕事をしているのだから、
それも自分には言えるわけがない。
そしてその我慢が、自分の苦しみを増幅させてしまう。
それは、自分が悪いからなのか。
いや決して、そうではないだろう。

会社での飲み会を辞退する聴覚障害者が少なくないのも、
これが原因だと思う。

決して、会社やその人たちが嫌いなわけではない。
もし、健聴者も歩み寄りをしてもらえたら、
私は少しでも助かるのかもしれない。
次第に、そう願いたくなってくる。
でも、それは永遠に無理な注文なのだろう。

この心の葛藤、苦痛は死ぬまで続く。
だから死は私にとって、最悪ではないと考える。
死は少なくとも今の、自分のこの苦しみがやっと
終わるときなのだ、と期待している。
私の目的は生きることではない。
早く死ぬことなのだ。
死は人生に喜びをもたらさないが、多分、
聴覚障害者としての苦痛は終わらせてくれるだろう。
もしも聴覚障害者の安楽死制度がありえるならば、
私はそれを支持したい。
この制度ができるといい。

そして、もし生まれ変われことができるとしたら、
もう二度と聴覚障害者には生まれてきたくはない。
生まれ変われるとしたら、健聴者に生まれたい。
そして、世の中にいる聴覚障害者のことなんか気にしないで、
自分も健聴者として、自分の人生だけを思いっきり楽しみたい。
自由なコミュニケーションがしたい。
健聴者のように心底楽しめる、バカ騒ぎもしてみたい。
もう、こんな苦しみは二度とゴメンだ。

人間とは、やはりそういうのものなのかもしれない。
# by bunbun6610 | 2012-05-19 23:37 | 就労後の聴覚障害者問題B

聴覚障害者の仕事探し【再掲】

※ 元記事〔2012-05-08 21:27〕より、再掲載。

この記事に今でも多くのアクセスがあるのは、
仕事探しで悩んでいる聴覚障害者が、
大勢いるということなのかもしれません。

===================================

就職活動の苦労話は、
聴覚障害者・金 修琳氏の著書

『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由』

にも、本人の体験談が載っていました。

本人も初めは何も知らないで健常者に混じり、
一般採用の合同会社面接会に行っていた、という。
そして、企業側に金氏の聴覚障害のことがわかると
相手にされなかった、という。

ただそこで障害者採用という、障害者には別の機会が
あることを教えてもらった、という。

障害者雇用は、障害者手帳を取得している
障害者が対象です。
手帳のない難聴者等は、おそらくは対象外でしょう。
(ただし、相談はしてくれると思います)

ハローワークに紹介状をつくってもらうとき、
紹介状には必ず、書類選考(郵送)のときに
「障害者手帳のコピーを添付して下さい」
と書いてあります。

職域はかなり限定されてしまいますが、
聴覚障害者の仕事探しとしては、
たとえば次のポイントがあります。


(1)ハローワークは健常者とは別の、
専門援助第二部門を利用すること。


クローズドは一般枠ですが、オープンでしたら当然、
障害者求人情報から仕事を探します。
ハローワークのコンピュータでも、求人票は別々に
分けられていますから、注意して下さい。


(2)求人票はコンピュータから探してもよいが、
聴覚障害者の場合、ハローワークが職域限定した
ピックアップ・ファイルからのほうが、効率がよい。


ファイル題名は例えば、

 『作業系の仕事』
 『電話応対なし』

などと、別々になっています。
このなかに、聴覚障害者も応募できやすい職種の
求人票がピックアップされている場合が多いです。


(3)紹介担当者のなかで聴覚障害者に
気にかけてくれそうな人を探し、
裏情報(※)を聞き出す。


すると、「聴覚障害者希望」の最新求人情報を
すぐに紹介してくれる場合もあります。

※ 裏情報とは、当ブログ
『聴覚障害者にできない仕事』
(2012-05-02 11:56)を参照。


非常にレアな情報なのですが、私の今までの経験でも、
こういう募集は聴覚障害者採用を真剣に考えてくれ、
応募すれば採用してもらえる確率も非常に高いです。

ですから、こういう情報は苦労してでも探す価値は
あると思います。


(4)障害者専門の仕事紹介会社に相談する。
紹介してくれる場合もある。
仕事紹介会社はインターネットで調べられます。


ジョイコンサルティング、クローバーナビ、ウェブサーナ、
など。


(5)自分でインターネットから求人票を検索してみる。

検索文字例)「求人雑誌の名前」+「聴覚障害」

これもなかなかないですが、検索してみると、
たまにどこかの会社求人票がヒットすることがあります。

これも珍しい情報ですけど、要は健聴者でも
「アンテナを張れ」と言われるように、
聴覚障害者でもちゃんと情報を受け取れるように、
自分から可能な限りのアンテナを張ることが
大切です。

何社かの選考に落ちても諦めず探し、
面接に挑戦し続ける気持ちを持っていないと、
なかなか仕事をもらう機会に巡り合えないものです。
# by bunbun6610 | 2012-05-17 22:48 | 人気記事(再掲)
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